4:一生かかっても変わらない側を選ぶか、3か月で変わる可能性を取るか
の4つの記事でお届けします。
『選択の基準』は、そんなに普段使う言葉ではないと思うんですが、知っておくほうがいい考え方だと思います。
『選択』なので物を選ぶ時ということになるんですが、
まずこの『選ぶ』というのは色々なところで出ますよね。
考える時、相手に対してどう反応するかもそうです。
ぱんだ堂では『選択の基準』と『行動の基準』に分けて考えています。
今回の選択の基準についてお話しすると、誰でもものを選ぶということはしますよね。
例えば、晩御飯を何にしようかと思う時に、お子さんがいると割とお子さんが好むもの、よく食べるものというものを選ぶことになると思うんですが。
これも「今日の夕飯なににしようかしら」の後に
『子どもが好きなもの』という基準に沿って選択しているので
その時に選択の基準となったのは『子どもが好きなもの』
ということになります。
これが、体に良いもの、無農薬、オーガニックというのもあるし、陰陽五行に沿ったものなど、細かくなっていく。
でもだいたいの人は、その『体にいいものを選んで食べている』で終わってしまう。
基準を知っていくと、お仕事で新しく事業展開する時などに、どういう選択の基準を採用して、ものを考えて、人と会って、ということを選んでいく事ができます。
この選択の基準を自分の中にどんな風に働いているかというのを
3か月、半年、1年かけて知っていく。
知っていくと、心のままにとか直感でと言っていたけれど
こんなにいろんな選択の基準があって、それに沿っていたんだ
と気が付きますよね。
また知ることで、その選択の基準以外のもの
ここは直感だったのかもしれないという風にみる事ができるようになります。
自分を知るには、いろんな視点から自分を見て
自分の中で働いているものをみていくと良いですね。
例えば、着物を着られる方は、着物かお洋服かで選ぶ基準が違ってくるのか。
違う基準を採用していたとしても、さらにその上に予算という基準がある場合もあります。
1回ワンセット2万円以内に収めるなど。
物を買う時の基準は予算ありきで、予算の範囲内でこういう項目とこういう項目を満たすものを選んでいる。
と知っていく事が出来ます。
洋服、着物、デザイン、素材によっても変わっていきますね。
それは無意識でやっているけども、そこまで自分について知ることはやっていないですよね。
感覚的に選んでいると思っていたものが
実際は趣味趣向、直感、見た目、色、デザインなど
それ以外も使っていて、こんなにたくさんの項目が揃って
基準になっているんだ、と。
それは日常品の範囲、特別なもの、予期せぬものに出合った時、思考が働く行動に至るまでの選択の基準とかにも関係してきます。
『選択の基準』は言われるとそうだと思うけど、言われなければ知らない世界なんです。
うまくいく時、楽しいとか幸せを体験できる時に、
どういう選択の基準が働いているのか。
全くうまくいかないとか、いろいろ思ってやったのに結果としていつも損をするとか。
不満が残るみたいな時には、そのスタートの時にどういう基準が働いているのか。
それらを知る事が出来たとしたら、まずは損する形で働かないものを選ぼうとしますよね。
じゃあ基準は正しいけれど、実際いつも損しているのは、
基準に沿って選択をし続けていないからかもしれない。
というようにも考えられます。
その基準の正しさを生かすというところに至りますよね。
そのまま基準の利点のまま使ってたら利得がもたらされたのに、
途中で押しの強い人や、情に流されたとか。
自分の中でモチベーションが下がってどうでもいいやとなったときに、
適当な受け答えをしたりして、それは基準を生かせなかったということになります。
うまくいかない基準があったとしたら、本当ににうまくいかないのかを知ることも出来ます。
基準を生かすための『行動の基準』というのもあるけど、『行動の基準』が違う組み合わせになっちゃったのかと気付くこともできる。
そうして見ていくと、正しい、間違ってる、良い悪い、から離れることが出来ます。
基準を生かせているか、生かせていないか。
どうすると基準を生かせるか?
というところになります。
自分を責めなくていいし、人を責めなくていいし、自己否定する必要もなくなっていきます。
例えば何かやったときに、どこが悪かった。
私のせいで迷惑かけちゃった。
という人がいますよね。
それは、自分が悪かったとか、自分のせいに持っていってしまっているから、『選択の基準』とは全く関係ないところで反省している。
自分を責めて反省しても、なんら問題が解決することはないんです。
これが自分に向くときは自己否定、責めて、悔やむ。
人に向くと、あの人のせい、あの人がああやったから、になっていく。
自己調和、自己と他者との調和などが取れなくなっていきます。
どこまでみても本来みるべき問題と全然違うところを見ているから、そこが落ち着いても根本は何も解決しないんですね。
自分を否定しても悔やんでも、相手を責めても
自分の自己満足、感情しか整理されないことに気付いて、
「これは選択の基準を生かせてなかったんじゃないか?」
となれば、基準を生かせなかっただけだから、
手段方法、選択の基準の繰り返しを、自分が気をつければ、改善できます。
そこに感情、否定が無いから、淡々と取り組みやすくなりますよね。
そういう状態の人は何かあると落ち込んだり、自己否定に入ったり、人を責めてしまう。
どうしたらいいですか、というところを問題視してしまいます。
そうなると「誰しも人を責めたくなる時があってもいいんじゃないですか」って返すと、
「そんなこと言うけど、これでいいんですか?!」とムキになって言われたりするけど。
そういうつもりじゃなくて、誰も責めなくても、人だからいいと思うんですけどね。
というところなんです。
本当は別々のもので、分かれているという認識を持ってもらうためにも、
『選択の基準』と、自己否定、悔やむ、責任の所在どうとかというのは別物だと知ってもらうといいかなと思います。
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>2:現状のスペックと採用しているOSの規格