の4つの記事でお届けします。
―自己研鑽で自分の変化が分かりにくい場合、書いて残したりすると良いですか?
書くことが好きだったり、書くことで残りやすい人は書く方がいいかもしれないですね。
書くことが得意じゃないし
書くことが影響を与えていない人が
みんながメモをしているからといって
メモをして思ったこと感じたことを書いたとして…
一定期間が経って、そのメモを読んだとしても
「なんで書いたんやろう?」
と、思うようであれば
落書きがどんどん増えていくだけなので
無理に書く必要はないと思います。
書くことによって何か取り込みやすい人は書けばいいし、
そうじゃない人は無理に書く必要はないです。
見て聞いて感じて体感したことは、記憶に残らなくても、自分というシステムの中には記録されています。
意識に上がってくる記憶には残らなくても、システムの中には、記録されてるんですね。
記録が増えて、意識に上がっていなくても無意識化にあるものがたくさん増えてくると、
それらがピコピコッと繋がり合っていき、
その人のバックグラウンドに新しいバージョンのOSを作っていくことになります。
書く方が意識側には残りやすくなる。
ただ意識側には働きやすくなりますが
書かなくても、意識側には残るので
どちらでも良いかなと思います。
比較することで検証ができたり
今の私と以前の私の差を知ることはできるけど
絶対しなければいけないか?
というとそうでもありません。
比較するとしたら、
「過去の自分からどれだけ変わったか?」
という比較の仕方よりは
「今の自分がこうなりたい!こうありたい!」
という未来の自分がいたら
「未来の自分と今の自分が、どれだけの差があるか?」
という比較のほうがいいかなと思います。
「こうなりたい!と思い描く自分」「未来の自分」に近づいていくのか?という思考を持ちやすくなります。
―未来の自分が具体的ではない。思いつかない場合はどうしたらよいですか?
例えば『毎日笑顔で私らしく』という方は、笑顔で過ごす時間を増やそうとか。
人に遠慮したり気をつかったりしてない私であるなら
「しなくていい場所ではしないでおこうっ!」
と思ったりするだけで違ってくるかなと思います。
具体的に目標とかこうなりたいが思い浮かばない人は
やはり3割4割くらいはいらっしゃるんですよね。
見つからなくてもいいから
そういう時は「毎日を丁寧に生きる」
というやり方が一番良いかなと思います。
例えば「今日なにを食べたいかな?」
と思った時に、思い浮かんだものがあったら食べてみる。
家から30分の洋菓子屋さんのシュークリームが浮かんだりしたら
遠いからと、家から5分のコンビニで妥協するのではなく
30分かかっても、思い浮かんだ洋菓子屋さんへ行って買ってくるとか。
旦那さんのこういう一言がカチンときたら
悪気なかったんやろうなと済ませるとか
黙ってしまうのではなく、言ってみるとか。
感謝の気持ちが湧いたら、湧くだけではなく相手に伝えるとか。
「何を感じて、何を思って、どうしたいのか?」
をつぶさに感じながら、可能な限り感じたことを具現化させていくことが、
自分に丁寧に関わることになります。
具現化は、シュークリームを買いに行くのもそうです。
お子さんがいる家庭のお父さんお母さんによく言うんですが、
食事の内容を子どもの好きなものばかりに合わせない。
という話はよくします。
「甘長と厚揚げ炊いたやつが食べたいな」
「生麩と里芋炊いたやつも食べたいな」
「そこに鶏肉入ったら嬉しいな。」
「…でも、子供喜ばへんからカレーにしようかな」
ではなくて。
生麩と里芋と鶏肉炊いたのに、カレーをかけるくらいの選択肢があっても良いかもしれません(笑)
3食のうちの少なくとも2〜3品は、出来たら「自分が食べたい」と思う食材を入れて作りましょう!と、お伝えしています。
また、疲れたな。と思ったら
可能なら体を横たえるとか。
10分〜15分でも体を休めることにより
体が回復をするので横になってみる。
「自然に湧いてくる欲求に対し、具現化をさせていく」という事が、自分に丁寧に関わるということになります。
それを毎日やっていくと、目標がなくても、自分という人間が満たされていきます。
その状態は自分の中の個性が安定して発揮されて、強みも外の世界に影響を与えやすい状態になっています。
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