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過去・今・未来/あかがわくまこさん 対談 第三部

過去・今・未来/あかがわくまこさん 対談 第三部

 
ぱんだと各界で活躍されている方々の対談動画・記事を公開しております。

自分というシステムや知覚についてなど、あかがわくまこさんとお話をしました。
五部に分けてお届けします。

前話はこちらです
第二部
 

飛行機からの富士山

過去・今・未来


ぱんだ:住んでる国によって法律などのルールがあるし、24時制が採用されてからその縛りから抜けられる人がいなくなってしまったけれど、独自のシステムを使って独自の世界を作って独自のルールで生きてる人は、公な、誰もが共通して縛られるモノがあったとしても、時系列などは独特なんですよね。その人の中で一時間経ったと思っても、現実の世界では7分しか経ってなかったりする。 


あかがわさん:わかる気がします。時間は平等に流れていると言うけど、体感は絶対違うはずだと思っています。視点も、人によって短期の捉え方も長期の捉え方も違います。1年を長期だと言う人もいれば長期は10年20年でしょという人もいますよね。 


わたしは時間の捉え方は大事だと思っています。そこが違っていて合わない人と一緒に何かをやっていくのは難しいと思います。ゆっくり考えたい人にとっては急かされるのは苦痛だろうし、早くやりたい人は何やってるんだよと思うでしょう。 
 

時間の流れの捉え方が違うと思っている人はそう多くはない気がします。時間軸が大事という話を聞いたことがあって、そうだなと思いました。 
 

ぱんだ:人によって時間が流れる体感的な差はありますが、人間は今を基準にして過去と未来を分けるという事をしてしまいました。 


体はここにいるけれど、感情や物を思ったり考えるという内側が、過去の時間帯にいる人もいるし、逆に体はここにあるけど中身が未来の時間上にいる人もいます。これは良い悪いではないけれども結果としてそれが分離や乖離という状態を作ってしまう。 
 

それは今あるはずの幸せが感じづらかったり、今生きてる実感が乏しくなったりすると思います。 未来側に中身がある人は未来でいろんな事を開拓してやっていくから、体が後からついて行き、 達成したり手に入れるものが多くなります。成功してお金もあるし周りに人も集まってプライベートも幸せに見えるけれど、生きてる実感が薄かったりします。 
 

ある程度までいったら体と中身の距離を詰めていくとか、1、2年くらい体と中身を一致させる時間を持つと、幸せを実感できたり生きるってこんなにすごいんだと感じられるようになります。 
 

あかがわさん:なるほど。 


ぱんだ:でもそういう人は2年が限界で、生きてる実感に飽きるからまた…というのが起こる。 体が今にあって中身が過去の時間にいる人の中でうまくいってる人たちは、そこにあるリソース、成功体験をフィードバックしながら今を充実させていくから、そういう意味では生きている実感と成果成功がリンクしやすい。 
 

どちらにしても分離するなら、成果を感じたり幸せを感じたりする側に使ってもらえると良いけれど、うまくいってない人は体はここで中身は過去にあって、あのときお母さんやお父さんがこう言った、友達にいじめられたとかそういうことばかりに目が向いています。その事実はあってもその影響ばかりを今に持ってきていたら、今ある、やるべき事に取り組めなかったり、今ある幸せを感じにくかったりするから残念だと思います。 


あかがわさん:ぱんださんは、そういう過去に傷ついたことは癒していった方が良いと思いますか。
 

ぱんだ:そこだよね。癒やされたいとか、傷ついてるからできないという人もいるんだけど、私だったら戦争に巻き込まれて片足になったとしても、最後まで這いずり回ってでも生きようとすると思うんです。 


過去の体験でトラウマになるものがあったり傷つくようなことがあったら、その事実は記憶から消えないし思い出すとありありと実感できたとしても、それがあることと、今を楽しく幸せに生きることは別物だと考えます。いつも。
 

楽しく幸せな側をどんどんやっていって楽しい幸せと思って、ふと息を抜いたときに一瞬よぎったとしても、「あったよな」だと思うんですよね。 
 

あかがわさん:そうですよね。 

 
ぱんだ:人生の一時期、どうしても消えない物事や傷ついた出来事、トラウマに対して取り組んでみるのも良いけれど、違う幸せや違う楽しいをどんどん増やしていって総合的な量が幸せや楽しいが90になった時に、その影響力を感じる時間が少なければそれでいいのかなと思う。 


あかがわさん:私もそういうイメージでした。癒さないといけないんだと言う人が世の中に結構いると思ったので聞いてみました。 

 
ぱんだ:そういう方は、自分が取り組んでトラウマから癒されたり開放されたことで、生きやすく なったという視点でお話しされると思いますが、私だったらなくても何とかやっていきます。 
 

あかがわさん:私もそんな気がします。 自分を知ってどう生きる? 


ぱんだ:いろんな人の話を聞いていろんな事例に触れて、それが出した結果を知っていくと自分の中で予測を立てるためのパーツや要素が増えることになります。その意味ではいろんな人の話は役立つと思います。自分をどんどん発展させて今後5年とか10年のスパンで自分という一つ のシステムをうまく生かしていくために、こういう人に出会いたい話を聞きたいというのはありますか。 
 

あかがわさん:いろんな人と出会いたいと思うんです。広い意味で言ったら日本人もそうだし、海外に行ってその土地の人と喋ってみたいとか。私は今個人でビジネスをしているので、ビジネスをしている上でもいろんな人と出会いたいです。 


やってみたい体験したいという欲がずっとあるので、体験を聞いてなるほどと思えるような人と出会って話がしたいというイメージで、人物像はあんまりないです。 
 

聞きたいのは、例えば自分というシステムをしっかり作っていくにはという話しなら、そもそも自己 とはなんだ自分とはなんだということです。これは捉え方の個性にもよるだろうし何が正解というのがない気もするんですけど、自分とは何かと明確に言える人はあまりいない気がします。あえて言うならぱんださんから聞くと深い話が聞けそうだなと思います。 
 

そもそもの自分というものの範囲を肉体で考えたら「これ」ですが、私の感じからするともう少し広 く、自分の考えや影響が及ぶ範囲みたいなイメージです。そんなに広くはないですけれども肉体の部分だけではないという捉え方です。 
 

自分とは何かというのと、その中で個々の資質の話、こうやって活かすというよりはパーツの見つけ方ですかね。それを組み立てるのは結局のところ自分自身なのかなという気もするので、パーツの見つけ方などのフックになるような話はぱんださんから聞けたら面白そうだと思っています。 
 

ぱんだ:そういう機会を催してみます。 
 

あかがわさん:要は自分とはという総論と各論という感じです。 
 


ぱんだ:自分を知っていくということは、知的欲求や好奇心もあると思うんだけど、それがある程度できると自分の生き方を選びやすくなるのと、人生を自分で作っていきやすくなるります。


「こういう自分を知りました」とします。 生き方を選ぶとしたらどう生きていきたいですか。そして今後どういう人生を作っていきたいですか。今後1年とか3年とか5年とかでも大丈夫です。 


あかがわさん:どう生きていきたいかは、私的には終わりがない感じなので、きっと死ぬ時に振り返っ たら分かるかなという感じです。 
どういう人生を作っていきたいかと言えば死ぬまでずっといろんな体験をしてみたいです。本当にそれに尽きます。わくわくするような体験が一番いいかなとは思うんですけど、生きていく上では病気や身近な人との別れも体験すると思うんですけど、そういうのも全部ひっくるめて自分の人生に起こった体験による自分の考え方の変化や、自分自身にも興味をもってその変化を感じたいと思います。体験をどんどん重ねながらどこまで行けるか実験、みたいな感じです。 


ぱんだ:やっぱり実験好きなんですね。 


あかがわさん:とにかくやってみたくてやったらどうなるのかなという、それでどんどん深めていきたい という感じです。

  

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