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【考える】3、悩みしらずの思考法

【考える】3、悩みしらずの思考法

考える

1:考える、悩む、物思う

2:気分や周りの人の機嫌につられてしまう時

3:悩みしらずの思考法

4:事実と編集された記憶

の4つの記事でお届けします。

 

 

『考える』 と 『感情と思い』

先の例でいうと、本当はお子さんの進路についてご夫婦で話し合っていたはずなのに感情が優勢になり
「子どもが大事じゃない。あの時もそうだったし、今回もそうだ。家族の事より自分の事が大事なんでしょ」
のような感情が、わりと自然と想起されたりしました。

 

この想起されるのも事実という刺激に基づいた反応で起こっています。

 

意図的に

「5年前のAっていう案件と3年前のBという案件
今回の事と鑑みまして、おそらく旦那はこれまでこういう確率で
こういうふうに思っており、私に対しては家族の中で割く時間17%以上を取る気はない。
子どもに対してはもう少し低く13%以上取る気はない。
よってあの人は70%以上を自分のために使いたいから
家族のことは思っていません!!」
というような考え方はやらないじゃないですか。

…やったら嫌ですけど(笑)

 

その根拠が正しくて、正しく筋道通して考えた結果、家族のことを大事に思っていないに至った。という人はいないじゃないかなと思います。

 

全部事実であったとしても、言ってやっていること、表面上起こっていることだけを捉えて、というところがやっぱり多いですね。

 

出来事が刺激だとしたら、刺激に対して自分の中で起こってきた反応に沿って、何かを言ったり思ったりということになっているから、これは考えられている状態ではないですよね。

 

考えるということもこういうふうに分けていくと、確かに自分は人生で考える時間が少なかったとなるかもしれません。

 

 

じゃあ『考える』という事を自分の中で育てていけばいいんだ。
この記事を読まれて、『考える』ということをやってみよう!と取り組んだ人は、やっぱり3年やったら3年分、5年あったら5年分必ず変化をします。

 

これは感情を否定するものではなく、考える時にはその感情とか思いが邪魔になるのだとしたら、それは考える時には避ける。
という事を覚えて頂けると良いです。

 

避けるでも、一旦離れるでもいいし、無視するでも言葉はどのようなものでも良いのですが、もし本当に思いというのを優先したかったら

「その思いが反映される現実とはなんだろうか」
というのを見て、その現実を作っていく側に動き出したら、思いを大事にして現実を生きていくということが出来ますよね。

 

同じ物事に対して持っている思いというのと、この物事を解決する為の考え方というのは別物であることも多々あります。

 

その解決したい事案を解決する為の考え方をしていって、これが終わったら解決しました。
じゃあ、あの時あった思いというものや思いを満たした現実を作るために動き始めたら、これも解決のために動いてると言うことになりますよね。

 

 

悩みしらずの思考法

今、自分が考えている事と思っている事は『ひとつのことを考えている』と思うのはやめた方が良いです。
『複数のことがそこに同時にある』と捉えると良いです。

 

例えば子どもの進学について話し合うけれども意見が合わなくて、考え方の違いもあるしで、選択肢に対してどういう反応するのかも違うというのが分かってきました。

 

・子供の進学のとういうこと
・このために必要なお金をどうやって手に入れるかとういうこと
・夫婦間の問題
少なくともこの3つがありますよね。

何かあった時に、「お前が全部やるのか!」というような事を旦那さんが言っているんだとしたら、これは違うんだと考えないといけないですよね。

 

家族を大事にしていない。というのがあるんだったら、じゃあ家族みんなが仲良く互いに思い合っていくためにはどうしたらいいのかを考える必要があります。

 

少なくともその曖昧な中に4つ5つの別のものが入ってる。
でもそれを1つのものだと思って考えるから、誰に相談してアドバイス聞いても解決しない。
5つあったら、それぞれ別々の最適な解決方法と、そのための考え方が在ります。

 

今求めているものの内容を知りました。
じゃあこの内容が別々のものがあるとしたら、どういうものなのかというのを分けていって、1個1個に対して解決に必要な考え方、別々の考え方になるはずだから、その考え方をして、必要な手段方法を選択していきましょうということになります。

 

これが悩みしらずの思考法になります。

 

 

起業したいお母さんから、起業が出来ない。
起業をしたいけど上手くいかないんです。
という話をよく聞いたんだけど、断然に多かったのは家族の理解なんです。

 

家族とは誰ですか?と聞くと、
例えば旦那さんだったら
「そんなんやって借金ができたらどうする」とか
「やるためのお金どうするんだ」と言われ、
今、お金ないし借金できたら自分の貯金がないからどうしていいかわからない、とか。

 

そう相談されたら、素直に「それは全然、起業の悩みではなく、ご主人との間のことで、主にあなたに貯金がないという事と、まだ起こってもいない借金返済ができない。というところで悩みが止まってますよね」「安心してください、全然、起業は頓挫してません。進んで始まってもいませんが頓挫もされていません」と答えます。

 

 

今の例でいくと「じゃあ。お金はどうするんだ!家の貯金をくずすのは嫌だぞ!」と旦那さんが言ったりとか。
子どもさんも「そんな事の為に学費がなくなったら嫌だ!」

いざ働きに行くことになったけど、
「家事をどうするのか?」とか
「なんでお前が起業するためにお金稼ぎに行くのに、俺たちがしなきゃいけないんだ」
というような事を言われたりします。

 

起業や働くというのとは、また別の話になるじゃないですか。
でもその人の中では『起業がうまくいかない話』になっているんです。

 

一個一個を聞いていった時に、最終的にそれは家族それぞれが生きていくための基礎能力が低いんじゃないですかという話になるんです。

 

 

生きていくための基礎能力

これは私の考え方の一つですが、男女問わずある程度の年齢までに『生きていくための基礎能力』が備わっている方がいいと考えるんです。

 

例えばご飯を作る。
買ってくるでも、自分で用意して食べるという事と
使ったものは洗ったり
自分の身に着けていたものを洗って乾かして畳んでしまうとか
自分で掃除をする。

子どもだから家族で暮らしているけども、お母さんだけがトイレ掃除やお風呂掃除するんじゃなくて、自分たちもトイレ掃除やお風呂掃除をする。
それこそ当番制みたいな感じでもいいです。

 

いつ1人になっても、その日からでも、1人で生きていけるぐらいの基礎能力があるほうがいいと私は考えます。

 

その中に男女問わず、年齢問わず、自分である程度生きていく為に必要なお金を得ることができる状態というのが備わっていればいいですよね。
これが生きるための基礎能力というように考えています。

 

そのようにものを考えていった時に
「どうしていつまでもお母さんだけが家事を専門的にやる必要があるのか?」とか。
「お料理作るのはすっごい苦手だけども、俺、食器を洗うのとか全然大丈夫」
というんだったら、食器洗ってもらったらいいわけじゃないですか。

 

 

掃除したり洗濯物を洗濯機まわして、干して取り込むところまでは全然大丈夫だったらやってもらったら良いと思います。

 

お互いの得手不得手があるから、全部が全部きっちりと同じだけやらなくてもいいけれども、やっぱりこうお互いに分担し合えたらいいよね。と思います。

 

 

そういう状態を作っておかないと全部やっていたお家のお母さんが、急病で2週間入院したとなると、お母さんがいない家庭は大変すぎて悲惨になります。

 

大黒柱だとか稼ぎ柱と言うけれど、その収入の入り口は誰か一人に頼ってる時は、そこが断たれた時、入院したりとか勉強のために1年間休職したとかとなった時に、入ってくるところが柱1本だとその間当然収入がなくなるから、貯蓄で食べていく事になった時にやっぱり大変だったりもしますよね。

 

だから理想としては、皆それぞれに自分が食べていくだけのものを稼げる状態であればいいよね。というのは考えます。

 

それが力とか年齢とか何かの事情でできない。という事もあるから、全員そうじゃなきゃではなく、考え方のどこかに『生きていくための基礎能力』という考え方を持っておくといいのかなと。
そうしたら自分が出来る為の事だから、誰かのせいとか何かのせいにしなくても、本当は済みますよね。

 

 

そういうような事が家庭の中で小さい時から行われていたら、お母さんが「起業をしたい」と言った時に「あ、いいんじゃない」とか、やる事とかもそれぞれ今までと同じようであれば、どこかに負担がかかるという事はないですよね。

 

そういう健全な思考がみんなの中に働いて、健全な会話とか意見交換ができる場を作るためにも、そういう生きるための基礎能力というのはある程度育っているほうがいいと思います。

 

今までお母さんしてくれとったやん、というのがあると反対もしたくなりますよね。
それは分かるねんけど、もうそこから新しく覚えていくしかないんですよね。

 

 

続きはこちらです。
4:事実と編集された記憶