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【行動の基準】3、入れ替えるとしたら、心じゃなくて『基準』

【行動の基準】3、入れ替えるとしたら、心じゃなくて『基準』

行動の基準

1:変わりたい変わりたい、でも変われない

2:行動の基準という概念を知っておく

3:入れ替えるとしたら、心じゃなくて『基準』

の3つの記事でお届けします。

 

 

変わりづらい人が採用している選択の基準、行動の基準

割と二択的な人
なれるか?なれないか?
上手くいくか?いかないか?
という人は、なかなか改善しにくいというか
変わりにくい事が多いです。

 

確かに上手くいくかいかないかだけれども、8対2でうまくいかない
8.193対~とかもそうで、無数に組み合わせがあるはずなのに
単純に「二つに一つ」みたいに、事実を誤認している状態が一番変わりづらいですね。

 

変わりづらい人が採用している選択の基準、行動の基準は『変わらないために必要な行動の基準、選択の基準』が働いていることが多いんですね。

 

行動の基準でいくと「ほら、頑張ったけどやっぱり無理でしょ」に至るような『行動の基準』を選んでしまう。
すると、3か月4か月、一生懸命打ち込むけど、急に
「やっぱ駄目だよ。オレじゃ無理だよ。やったけど変われない…」みたいになることがあります。

『やったけどだめだった、変われなかったと言う現実』を作るための行動の基準が作られていって、それを使ってしまうんです。

 

 

うまく行ってるけど、『自分の中に作ってるルール、理念の中で上手くいくを採用する人』と『上手くいけばどうあってもいい、上手くいくために必要な事だったらなんでもする』という概念でいくと、自分が上手くいくために、人、労働、アイディアを使うけども、結果上手くいきました!となった時に、この結果は自分がとるから、労働力になった人への感謝、報酬がないみたいな場合があります。

 

これはいい悪いではなく、そういう基準に沿って世界が作られていて、その世界の基準に添って『行動の基準』が作られていくからそのようになります。

 

 

入れ替えるとしたら、心じゃなくて基準

心を入れ替えるという表現をされる方もいるけども、入れ替えるとしたら心じゃなくて、基準を入れ替えると良いですね。

 

本当に心から反省して、心入れ替わって真正直で美しい状態になっても、行動の基準が違っていたら、行動は正しく起こらず、心がきれいになった自分が望むような世界に至らない、そういう基準がずっと採用され続けます。

 

何回も言いますが、入れ替えるなら心より基準です(笑)

 

物事に関わる時の姿勢とか態度は、ある程度は大事だと思うんですね。
人を不快にしないとか、危害が加えられたり良くないことが起こるような関わりは当然ないほうが良いけれど、態度、そういった面を変えていくよりも、その時に使われている基準が変わるほうが、結果として全体的に成果も出るし、いい状態にはなります。

 

 

それでも人ってやっぱり、態度や言ってること、やってることに対して、感情的になったり、あれがちょっと嫌、これがちょっと嫌ってなりやすいじゃないですか。

 

 

でもそれで見ていくと、自分の側で起こっているのは感情であったりとか、好き嫌いとかからものを見て、聞いて感じていくというシステムに切り替わってます。
でも自分ではそんなシステムが切り替わってるとは思わないから、やっぱあの人なんか嫌やし、言ってる事おかしいと言う世界に入ります。

 

その人と関わっていったりやったりする時の『行動の基準』というのも、感情とより反りが合うようなものを選びやすくなります。
こういう時は、本当に反りが合うものを選びやすい。
あの人いやって思っている感情に、いい感じで寄り添う基準、そういう『行動の基準』がやってきます。

 

その人に感謝したり、恩を感じる出来事があった。
こういう面は嫌いだけれども、感謝するわ。
と思ったとします。

嫌ってる側の感情に寄り添いやすいんだったら、感謝に寄り添いやすいかというと、感謝とかありがたく思ってることを表現する時には、恥ずかしい。
そのまま出すのは照れくさいが出てくるんです。
その照れくささに寄り添いやすいのが出てくるし、引っ付きやすいのですが、感謝そのものには寄り添いにくくはなってしまいます。

 

 

感謝してる出来事があったとしても、素直に伝えにくかったり、今回こうやけどいつも嫌なことばっかり言ってるやん。
みたいな感じに流れやすくなります。
照れくさいに寄り添う基準が出てくると、感謝が素直に伝わる『行動の基準』が採用されなくなるんですね。

 

人っていろんな情報に触れるようになってから、どんどん『面倒臭く=ややこしく』はなっています。

 

シンプルだよねっ。と言われる人の中には『選択の基準』と『行動の基準』、両方の数が少ない場合があります。
活用されているいい組み合わせが少ない。

 

3つの組み合わせがうまくいくのをシステム上、無意識下で検証済みだとしたら、3つの組み合わせだけを繰り返していい結果とかいい成果が取れるのを繰り返していくことがあります。
シンプル感はあるんだけども、その人らしく生きているかというと、一概にそうとは言いづらいです。

 

『選択の基準』も『行動の基準』も、プログラムがそういうふうにシステム上機能していると認識できたらいいのかなと思います。
相手を嫌ったりしなくてもいいし、相手を責めることもないし。

 

システムとして客観的に見る事が出来たら、感覚的に捉える事が出来たら、改善はしやすくなりますよね。

 

性格変えよう、考え方改めようみたいなことをやると多岐に渡りすぎるのと、だいたい1人で深堀したときに、掘ってる方向が違うこともあります。

 

 

でも掘っているという事実はあるから、自分に深く関わったような感覚だけあって、やるだけやって分かったような気がするけども。
違う方向に掘っているから本当はわかるはずがないんだけど、労力に対してやった感があるから、あらかた解決済みのハンコが押されてしまう。ハンコが押された瞬間いい感じになるけれど、システムも現実も変わっていないから、どこかでまたスタックしてしまいます。

 

成果が出る、いろんな人とつながって強運を呼び寄せて現実が変わってますよ。
という表現される人も、人は入れ替わっているけども、やっている事が変わっていないとか、サイズ感変わっているように見えるけれど、集まっているものが変わっていなかったりとかということがたくさんあります。

 

その人は認識とか感覚的にどんどん変わってステップアップしている世界を見ているけども、『行動の基準』そのものは変わらないから、入れるもの総量に差はないです。
感覚としてはステップアップしている気はある、激変してるみたいな認識は生まれます。

 

その激変も成功や幸せに関わっていたらいいけれど、間違った激変の捉えてるものが、自分ダメ、めっちゃ不幸、とかに働くと、人は機能をしなくなります。

 

本当はそこまでダメでもない。
本当はそこまで不幸じゃないけど、『不幸じゃなかったらおかしい』という世界を見ていたら、マイナスな事だけが生まれていくような世界の中で、それをサポートするような行動の基準がでてきます。

 

嫌われる為のものが複数、働いてしまうと「あの人と会うといつ会っても嫌なこと言われる、噛みついてくるよね」というようなことがどんどん頻繁に起こってきて『だれも認めてくれない、自分に優しくしてくれない』という感覚を育てていったりします。

 

そういう世界そういう自分に浸れるような『行動の基準』が働いていて、どんどんそっち側に追い込んでいく訳ですね。

 

 

現実と認識が一致している人っていうのは、一致した世界を見てこの世界を促進するために必要な行動の基準がいくつも採用されていくのでズレが少なく、思っていることと、実際の評価が似たような感じになります。

 

自分を責めなくていいという世界を採用しやすいです。
システム上そうだから、自分のせいではなくシステムが採用されているだけ。
自分で自分を好きになれるような世界に見られるようにっていうのを採用しやすいですよね。

心を入れ替えれて!と言われた方が心折れませんか?(笑)

 

子どもだろうが友達だろうがパートナーだろうが、みんなそういう世界を採用できたとしたら。
言われてるのは鼓膜を震わせて聞こえてはいるけれども、システム上、今そういう機能が働いているから、というところを見ていけば、全部この人のせいにしなくていいですよね。

いわれたことに対してだけ「今の言い方はとてもひどくて傷つきましたので、謝罪していただけませんか」と言いやすくなるかなぁと私だったら思いますね。

 

株式会社ぱんだ堂 範田遥洸