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【選択の基準】4、一生かかっても変わらない側を選ぶか、3か月で変わる可能性を取るか

【選択の基準】4、一生かかっても変わらない側を選ぶか、3か月で変わる可能性を取るか

選択の基準

1:自分を責めなくていいし、人を責めなくていい

2:現状のスペックと採用しているOSの規格

3:頑張るけど結果につながりにくいとき

4:一生かかっても変わらない側を選ぶか、3か月で変わる可能性を取るか

の4つの記事でお届けします。

 

 

自分と他人の扱い方が変わる

概念を知るのと知らないのでは、自分と他人の扱い方が大きく変わるんです。
扱い方、関わり方ですね。

 

自己否定や後悔から離れられるし、勝ち負け、パワーバランスに囚われる事も無く、そのように自分や他人を扱ってきたところから離れられるので、自分と他人の扱い方が変わります。

 

「みんなに喜んでもらえてよかった」
この実感を感じるのは大事だけども、扱いはそこで終わります。

 

ただその可能性、このように『選択の基準』を使っていたんだとしたら、こういうシチュエーションでも使えるんじゃないかとか。
こういう基準を選べるのなら、こういう基準も作られていくんじゃないかとか。
そのように意識が向くと、自分の扱いがそのように変わっていきます。

 

そういう風にものを見て感じて考える人が増えていったら、和やかな世界に変わるように思うんです。

 

お互いに自分と他人についてみることができたらマウンティングしあう必要もないし、誰かのせいにして終わらせようということもしなくていい。

 

出来事の結果がこうだったとしたら、違う結果を生むためにみんなで何が出来るかという視点になったら、割と建設的になりますよね。

 

結果にコミットみたいなどこかのCMみたいですけど(笑)
人ってこう、私が褒められたいが出てきますよね、結果を出したいとか。

 

それは悪くはないし、自然に機能するものではあるけど、結果そのものでなく、結果を出すのが自分であるほうがいいという個人が優先されるので、一番いい結果に至らないことも出てきます。

 

人の中でごく自然に働くものだから、褒めもしないけど責めもしない。
自然に働くものをこえて、結果にコミットできる人が増えてきたら、本当にいい結果が出やすくなります。

 

考え方、選択の基準、行動の基準が、どういう風に案件を処理していくかに関わってきます。

 

 

なかなか思いや欲求を超えて、考え方が優先するとか、全体性をとるための考え方が機能する人は少ないですよね。

 

「みんなのために」でモチベーションを上げていける人が多いけど「みんな」のなかに「私」も入っているんですか?という場合も少なくないです。

 

 

お話を聞く時には、『選択の基準』を明らかにします。
どういう範囲内で作用しているかを知るために、割と細かく
「それはどういうことなんでしょうね。私の思いって表現されたんですけど」
と、その思いについて聞いていって、ある程度30分くらいは内容を聞いてやりとりをします。

 

例えば、その人が言っている『子どものために』というのが、最終的にはこういう『選択の基準』からスタートしているんだとか。
その基準を採用してて、子どものためにって言うけれど、最終的に気にしてるのは「私が責任取りきられへんことになったらと思うと、不安で仕方ない」
だと、責任の所在や責任能力がないから困る。
その困る状態が私を不安にさせているんだ。
ということになります。

 

『選択の基準』からスタートをして、最終的に今その結果に至っているんだとしたら、お子さんには何を言っても誠意が響かないですよね。
言ってることやってることは全部、自分がそうならないために子どもにやらせているから、私だったら家を出ますよね、とか。

 

家出する位にまでしんどくなっている中で、家を出ず一緒にいる選択をお子さんがしているのだとしたら。お母さんは最初の思いが反映されるように、考えて選んで行動することをされるといいと思うんですけど、と、正しく考えるとこうなりますよね。ということを伝えます。

 

 

こういう思いがスタートにあるんだったら、反映されるような関わり方がいいですよね。反映された現実とか習慣を見る。責任とられへん、どうしようをみるのと全然違ってくるから。

 

そのために、こういうふうに考えてみよう、こういうことを1日1回やってみよう。3か月、半年、ひょっとしたらもっとかかるかもしれないけれど、そういうことを考えてやっていったとしたら、実現するために必要なプログラムがお母さんのなかで育ってくるから、お子さんのためにではなく、お互いの幸せのためにとりくんでみてはどうか、と。

 

子どもに対しての責任の基準から、お互いの幸せという基準に置き換えていくことをやります。

 

日々不安を考えることはあるけども、言われたことをやってます。
となればOKなんです。

 

不安を消そうとすると余計に広がります。
不安は未来に対しての予知につながるときもあるんです。
予知とか予感ですね。

 

それは良い側も生むわけだから、未来に対する予感や予知を消そうとすると、消されてたまるかって頑張るんですよ。
だから不安を消すよりかは、別の基準を育てるために必要なことをやることをやっていけば、不安側の採用が減っていきます。

 

もともとの未来へに対する予知、予測はのこったまま、自分の中で新しい基準が発達していく。

 

そういうことを意図的に繰り返していけたら、考え方、行動基準も今までと違う側のスイッチが入りやすくなります。

 

考え方を変えろと言われても!というパーセンテージが下がり、とりあえずやってみますを採用しやすくなるのではないでしょうか?

 

 

一生かかっても変わらない側を選ぶか、3か月で変わる可能性を取るか

システムのどこかに意図的にアプローチするということは、それに関連する他のシステムにも影響を及ぼすから。
どこがという理由とか原因を探る時間を省いて、それ以外のプログラムを採用する基準を作っていけるから、変化しやすくなります。

 

原因理由を探ったら一生かかっても見つからないかもしれないけれど、新しい基準の採用プログラムは短かったら3か月くらいで作られていきます。

 

一生かかっても変わらない側を選ぶか、3か月で変わる可能性を取るかっていう、単純な選択の基準の問題ですね(笑)

 

原因や理由を探ったとしても、もうない場合もあるんです。
原型がないけど自分の中でだけ機能だけしてしまっているとか。

 

更ににもし原因と理由が分かっても、改善できるかどうかは別の問題なので、わかって改善可能で、改善をする為に3年をかけるのだったら、同じ3年を新しいプログラムがいくつ増やせるかという側に使う。というのも選べますよね。

 

私が勧めるのは、一つのプログラムを機能させなくなるのに3年かけるより、新しいプログラムをどこまでいくつ増やせるかゲーム感覚でやるほうがいいと思います。
それだけ役立つのが増えていったら、3年かけて消そうとしていたのが、正しく働く場に行きつくこともでてくるんです。

強みとは 株式会社ぱんだ堂

 

そしたら3年かかって消さなくてよかった、プログラムがいくつもできたし、働く場にいきついたってなるほうが良いですよね。

 

選択の基準、人にとって、ある種大きな闇を持っているし、それだけ単体で働いているわけでなく、考え方、選択の基準、行動の基準が3つ連携しあって何かの事象を生んでいるということになります。