ぱんだと各界で活躍されている方々の対談動画・記事を公開しております。
自分というシステムや知覚についてなど、あかがわくまこさんとお話をしました。
五部に分けてお届けします。
前話はこちらです
>第四部
ぱんだ:意図せず自然にシステムが反応するということは、言い方は悪いけど薄っぺらな人の話を聞いてると早くやめてくれないかなと思わないですか。
あかがわさん:思います。イラッとするんですよね。
ぱんだ:その時どうしていますか。
あかがわさん:違うことを考えることもあります。こういう人が他にもいたなあと思うと、やっぱりそういう人たちは似てる人が結構います。似てても深い人もいて、この人はこういうところがあの人と違うところだなと比較したりして楽しんだり、私も気をつけようと思ったり。私が表現するならどうするかということを考えたり、全く違うことを考えて早く終わらないかなと思ったりもします。
ぱんだ:私は同じようなケースの時はこっちから質問をします。その話をしている間にその薄っぺらな人がどこまで厚みを増すことができるかということをやります。
なぜそれをやるかと言うと、例えば相談される方が来て、思ってることや感じてることはあるけれど言語化しにくい時にいろいろ聞いて言語化してもらうためだったり、モヤモヤしたものを意識に繋げていくためにです。
薄っぺらな人の厚みを増すのをやっていくと結構役立つんですよ。楽しみではないけどやってしまいます。
あかがわさん:クライアントさんだったらそういうアプローチもありなのかもしれないけれど、私が一方的に話を聞く立場だと、この人は闇が深そうだなと思ってもそこまで介入ができません。 ぱんださんはダイレクトに感じると思うんですけど辛くないですか。
ぱんだ:そうですね。
あかがわさん:何とかなればいいなとは思いますが、私にそれを求めていないという状況だったら自分から介入するということはしません。
ある人に、あかがわさんは周りの人に理解され難くて生きづらいタイプですよねって言われました。
ぱんだ:あかがわさんが小さい時からそういう傾向があったとしても、全脳開花以降はそこにある合理性を自分で正しく気づいてしまったから、正しい自分の中の合理性というのをやめることはしないと思うんです。
あかがわさん:しないと言うかできない気がしています。
ぱんだ:定点観測の時に言ったけれど、できればその合理性はそのままで、正しい合理性を発展 させるために正しくない合理性を入れていくんです。仮説的なものでもいいです。 例えばブッタが生きていて、この合理性に対して何か一手を指南して下さいと言ったら、どういう一手をくれるだろうかとか。好きなお笑いの人に、なんでもいいからアドバイスをちょうだいと言ったらどういうアドバイスくれるかとか。
完全な世界にないはずのものを仮説的に入れていくと、その合理性が辛くない状態をどんどん作っていくのでやってみるといいと思います。
あかがわさん:面白い。それはしたことがなかったのでしばらく楽しめそうです。
ぱんだ:知覚を広げていくことにも、可能性を広げていくことにも繋がります。 システムを見たり定点観測をしていくとか、いろんなことを体験して実験のように捉えている今の自分というのが、それをやることでもっと楽しく幸せだというところで広がっていくんじゃないのかな。
そういう感じで取り組んでもらえたらなと思います。
あかがわさん:ありがとうございます。やってみます。
ぱんだ:最後にひとつだけ聴きたいんだけど、5年前の自分と今の自分を比べた時に明らかにここは違うと自分で認識していますか。
あかがわさん:違うという認識があります。
ぱんだ:どこが明らかに違いますか。
あかがわさん:5年前は思考に偏りがあったと思っています。世の中に対する恨みと言ったらあれなんですが。
ぱんだ:深い闇に繋がりそうな表現 笑
あかがわさん:ずっといろんな人たちが羨ましかったんです。私は髪がなくてウィッグだったというのはありますが、結婚するのも遅かったし子供もなかなか産まれなくて苦労したんです。だから大袈裟に言うと簡単に母親になりやがってみたいな。
世の中の人に対して、リア充爆発しろみたいな思いがちょっとありました。今はそれがいいとか悪いとかではなく人生の中でそういう時期があったんだなという感じです。
それが意識として分かる前と後みたいな感じです。
ぱんだ:聞いていて私が感じたのは、誰にでもある権利を行使するとして、自分の状態や在り方によって行使の仕方が違うということです。
誰にだって幸せになる権利があるし結婚する権利もあるし女性であれば子供を授かってお腹で育てて産むというのも権利だとしたら、行使できていませんという状態の自分と、状態的にまだ今は権利を行使しない方がいいかもしれないという状態の自分かもしれない。 権利を行使できていないからそういう状態でもあるとも取れるけれど、時を経て権利を行使できていますとなると変わるのかな。
あかがわさん:自分の在り方が変わったというよりも、分かったという感じかな。だから権利を行使する もしないも自分次第だと捉えられるようになったのかな。
ぱんだ:自分の在り方という脳への理解と、理解に沿った権利の行使と、あとは思考する時の知覚の位置を変えていく概念を入れるといいかもしれない。
思考する時は思考するためにシステムを使うけれど、例えばビジネスのこと家族のこと、家族の中でも旦那さんのこと子供のことを考える時に、本来は思考する知覚の位置が移動していくのが望ましいです。
多くの人は自分の思考の知覚位置という概念がないから、思考する時に一定の範囲から出ないんです。
その共通した知覚位置で別々の物事を考えるから、うまくいく時いかない時が多かったり、幸せな結果に行く時いかない時が出てきます。
今日お話を聞いてて思ったことです。
あかがわさん:思考の知覚位置があるんですね。面白い。深いな。
ぱんだ:位置という言葉がピンと来なかったら変えても大丈夫だけど、物を考える時の位置という表現が私の中では一致してるから使っているだけ。
あかがわさん:ぱんださんは思考する時に軸になるところをずらしているということですよね。
ぱんだ:軸の位置はそのまま変わらず。状態や在り方はそのままで、物を考える時の知覚の位置そのものを移動させていく。
例えば物を考える知覚位置が8つあるとしたら、8つそれぞれを統括している自分がいて、家族の中でも末っ子のことに関しては私が専門家ですっていうのがあったら6番目の位置で4考える方がいい。
あかがわさん:深い。面白い。
ぱんだ:その思考の知覚位置を変えていく概念を入れるだけで、自分のシステムの運用の仕方が変わります。
あかがわさん:一点でしか考えていなかったところが位置が自由に変わると、立体になるということですよね。
ぱんだ:そうですね。そういう状態がもともと素養としてあったとしても、全脳開花のシステム上、そうなっているということを正しく知っておくといいと思います。
あかがわさん:どうもありがとうございます。
ぱんだ:あっという間の1時間でしたが、興味本位で色々聞いたり興味本位で答えてもらったり、 ありがとうございました。
あかがわさん:ありがとうございました。
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