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【論理と直感】1、論理とは

論理と直感について

1:論理とは

2:目が合ったのに無視された?

3:直感とは

4:論理と直感は2本の柱

5:論理も直感も使っている

の5つの記事でお届けします。

 

株式会社ぱんだ堂 範田遥洸

 

論理とは

 

論理というのは、その考え方やその思考を議論する時、

話を論じ合う時に、その筋道を立てていくのが論理です。

言えばその考え方の妥当性が保証されている必要があります。

 

その妥当性が保証されていないというのは、

思いつきであったりするので、もうちょっと論理が成立するように、

色んなことを考えて色んなことを見ていきましょうということになります。

 

ではその考え方や、一つの何か議題に対しての妥当性というのを

どういうふうに見ていくかと言うと、やはり検証が必要なんですね。

 

その事実に基づいてどうかというもの、

事実を積み重ねていくということと、

その事実自体に関係性や関連性があるのかということを見ていきます。

 

その妥当性の根拠となり得るものというのが必要になってきます。

それが論理と考えてもらえると良いかなと思います。

 

その妥当性が保証されている例えば法則や形式というものは、

論理に従って正しいということになりますよね。

 

全てに当てはまる法則というものは当然ないのだけれど、

その物事に対してはこういうふうに事実関係も見ていったし、

関連付けられるものも検証しつくしたし、じゃあこれは

凡そ(おおよそ)この考え方というのが正しいのではないか、

というところで妥当性が保証されます。

 

それを体系化していくときに、法則とか形式とかっていうものが採用されます。

 

この論理というのを発達させていく、論理的に物事を見る、聞く、

考えるということをしようと思うと、やはり日常的に検証というか、

それは本当にそうなのかみたいな視点というのは大事なんですね。

 

翼の生えた天使

 

例えば私がどこかスーパーに行ったときに、

たまたまAさんを見かけて。Aさんが警備員さんと

何回も何回もお話しているところを見てしまったとします。

 

見た瞬間に私が「Aさん万引きしたんや!」と思ったとしたら、

それを思うのはいいけど、言っちゃったとしたら、

Aさんは「ぱんださん何で万引きしたと思ったんですか」

「ちゃんと確認してください」となるじゃないですか。

 

そういう万引までいけへんけども、人から聞いた話とかって

「え、ホンマ?」となって、割と鵜吞みにしたり

「この間、こんなん聞いてん」と言ったりするじゃないですか。

 

でもやっぱり、あれは事実がどうかというのが定かではないし、

本当にどうなのかというのも分からないですよね。

 

例えば震災であったり、コロナの時もそうですが、

凄いあやふやな情報が出てくるじゃないですか。

 

「私の知人の自衛隊の知り合いの方に、

ボランティアで物資を集めてる方がいます。拡散してください!」

という投稿やシェアをしていたとしたら

「では、あなたは投稿した本人ではないんですね?」というところが

引っかかるじゃないですか、聞く必要がありますよね。

 

「シェアした方とあなたは、親友とかいろんなことを相談したり

話し合う間柄ですか。」と。

 

丁寧に入れたコーヒー

 

「全く知らないです」と言ったら「じゃあ、あなたの知らない人が

投稿している『私の知人』というのは、全く知らない人ですよね」

『私の知人の知り合い』になったらもう、空想上の生物に近いじゃないですか。

 

その空想上の生物に近い人が、ボランティアで物資を集めていて、

自衛隊の○○の空軍基地に持って行ってくれたら、

それを運んでくれるとなったとしますよね。

 

空想上の生物に近い人の話だとしても、

自衛隊が民間やどこかの団体など、民間のそういった物資を

空港に直接引きとってやるというのは無いんじゃないかと思いますし。

 

ましてや知人の自衛隊員がやるとか、いやいや飛行機一つにしても

装備一つにしても、それこそ靴下であろうがなんだろうが

支給されるもの全部、個人の自由にできるものじゃないのに、

なんで自分の知り合いだからと、ボランティアで集めたものを

空軍の基地から持っていくだろうか?となるじゃないですか。

 

でもあれをシェアしてしまう人、

パッと見て何か助けなきゃと思ってシェアしてしまう人というのは、

その根拠とか事実を確かめることがない。

 

結果として迷惑な状態を作るわけですね。

善意はあるけど、よく知らないし確かめるということをしないから、

結果迷惑になるということになる。

 

だから何か起こったことに対して「それは事実なんだろうか」

「あ、そういう話があるんだ」というような感じで聞けると、

少しずつ客観性というのが育っていくし、

そこから物事が正しいのを知っていきたいとか、

そういうふうに見ていきたいというのがあれば、

当然論理的に物事を見て考えてというところも発達していくかなとか思います。

 

株式会社ぱんだ堂 範田遥洸

 

直感が悪く働くとき

 

さきほど妥当性が保証されているのが法則や形式という話もしましたが、

物事の間にある関連性、それを検証した結果こうでしたというのが

分かったら、形式的にもできるし法則的にも扱っていくことができます。

例えば「ぱんださんご夫婦、昨日喧嘩しはってんやん。

奥さんもぱんださんも書いてはるわ。

奥さんもぱんださんもえらいFacebookに書いてはんなあ。」と。

 

で、ちょっとしたらBさんのところも喧嘩して、

Bさんも書いているのを見たとします。

「さっきのぱんださん夫婦喧嘩してたよな、Bさんとこもなんや。」

 

そういうのが同じ日に二つの家で夫婦喧嘩が起こっているのが

3回ぐらい続いたら

「あ、また今日もぱんださんとこ夫婦喧嘩したら、Bさんとこも。」

「これぱんださんところと、Bさんところ繋がってる?」とか。

「え!めっちゃ発見した!」「繋がってるんや!」となったら。

 

いや確かに3回続けてぱんださんのところと、Bさんのところと

夫婦喧嘩した日が重なったけど、よく考えてね。

うちら喧嘩してる日に日本中とか世界中で

もっとたくさん喧嘩してるよ?夫婦喧嘩してるよ?

となるじゃないですか。

 

でも人はなにかふと気づいたことが

『そうなんじゃないか』と思ってしまったりする。

これは直感が悪く働いている時ですね。

 

「私ピンときた!分かってもうたわ!」みたいなのは、

言ったら悪いけど直感が悪く働いてる時かなと思います。

でもその物事の間にある繋がりとか関連性というのを、

証明しきって初めて、それは論理として成り立つし、

確かに筋道が通っているということになります。

 

そういうふうに筋道立てていこうという物の考え方とか、

考える順序、考えている物の話す順序というのも

『論理』と簡単に言えるかなとは思うんですが。

 

それを自分が思っていること考えたことを言葉にして伝える

とかというときにも、筋道を立てていく必要があるし、

聞かれた質問されたことに対して

「それはこうです」ということが言える。

そうすることによって、聞いてる人の疑念に対して全部回答できた、

回答したものの妥当性というのを聞いた人が感じることができたら、

妥当性がいくつもあるし、これは今聞いた中では

凡そ正しいんじゃないか、と初めて論理というのが

ある程度の完成をみるのかなと思います。

 

 

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2:目が合ったのに無視された?