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【論理と直感】2、目が合ったのに無視された?

論理と直感について

1:論理とは

2:目が合ったのに無視された?

3:直感とは

4:論理と直感は2本の柱

5:論理も直感も使っている

の5つの記事でお届けします。

 

範田遥洸 株式会社ぱんだ堂

 

目が合ったのに無視された?

 

私が話を聞くときは、だいたい凡そ正しい物事が何なのか?

凡そ正しい事実はここにあるんだろうか?という聞き方をしています。

 

何か質問する時というのは、嘘か本当かを確かめるのではなく、

言っていることがどういうことなのか、事実なのかということですよね。

事実か、思っているだけのことなのか。

だから事実を明らかにするということをやっていきます。

 

なんか尋問されてたり詰問されてる気になる人も出てきますが、

何でそう思ったのかということも大事じゃないですか。

 

私が買い物に行って、誰か私のことを知っている人が。

私に声をかけてくれた。私は買い物に行くときは

『あれ買って、これ買って、帰ったらああいう風にして食べよう』

と思っていることが多いから、だいたい買い物のことと、

買った食材のことしか頭の中にないとしますよね。

そしたら世界はそれだけである意味完成しているから、

外からの刺激に反応できなかったりします。

 

後日「この間ぱんださんを見かけたから、すっごい近くで

声かけたんですけど、ちょっと横向いて知らん顔して

行ってしまわれて。あ、ぱんださんFacebookで見るのと

全然違うんだと思いました」と言われたら、

「いや全く、脳みそとかまで広げても記憶がないんですけど。」

「でもチラッとこちらを見たんですよ」

 

じゃあその方がチラッと見たと思った時に、

その方向に虫が飛んでいて、私は虫を見て通り過ぎたら、

その方にしたら『チラッと見て、行った』となるじゃないですか。

 

手作りのシーサー

 

だからそういうふうに何か自分が見たものだけで判断して、

見たものが正しいかどうかも分からへんのに、言ったら

『その方の見たことで思ったこと感じたこと』だから推測ですらない。

ああいうふうにされたのは無視されたんだとなるわけですよね。

これも直感の悪い働き方です。

 

そう思ったときに「この間ぱんださんを見かけて、凄い近くで

声をかけたんですけど、声をかけて一瞬こっちを見たように

見えたんだけど、なんかそのまま真っすぐ行ってしまわれて。

急いでたのか、無視されたのか、機嫌悪かったのか

よく分からなかったんですけど」と言われたら、「いつですか」と聞いて。

 

「すっごい近くって、どのぐらい近くだったですか。

30センチとか40センチで来てたら、さすがに私も気づくんですけど。」

「いやそこまでは。10メートルくらいです。」

「10メートルは凄い近くとは私は思わないんですけど、

あなたは10メートルを凄く近くと思われたんですね。」

「では、その時どのくらいのボリュームで言いました?

あのもう本当、間近で言ったら耳痛いって怒るくらいの声を

張り上げてくれて、あらん限りチアリーダーくらい体動かして、

ぱんださーん!!って言ってくれましたか?」

「いや、あの周りに人がいててちょっと恥ずかしいから

『ぱんださん』ってやったんですけど」

「ううーん。それ凄い近くでもないし、おっきな声でも

ないと思うんですけど」となりますよね。

 

「チラッと見た時、おそらく虫が飛んでて払ってたんですけど、

その瞬間たまたま上手く合っちゃったんじゃないんですかね。」

「だから気づいてもいないから、機嫌悪くもないし急いでもないし

無視したわけでもないです。」というふうにしていくと、

事実というのは確認できそうだというのが分かりますよね。

 

でもこれは別に論理的な見方とかではなく、事実を確認していくとか

根拠を明らかにするというだけでもあるんですね。

 

コンパスと羅針盤

 

そういうふうな習慣がついていくと、例えば何か

ものの見方・考え方というのが自分に割と論理的に働くんだとか、

事実を検証して事実だけを積み重ねて、凡そこうだという根拠を

ちゃんと確立していくものが出てくると、

例えば私だったら私の仕事でヒーリングと言われるものも、

自分が知っているものをベースにして論理的に

構築・組み立てていくことができます。

 

この論理的に体系化され組み立てられたものが理論となります。

 

閃きや直感

 

この論理が自分の中で成立していて、体系化された理論と

言える形になっているというのがやはり本来は望ましいです。

 

そうなると論理が発達して論理的に物事を考え、筋道を立て、

妥当性を証明していくということをやって、

体系化した理論なんだよとなると、理詰めとか頭ばっかりって

いうふうに感じる人もいるかもしれないけど。

体系化した理論という形に落とすときというのも特になんだけど、

閃きとか直感というのがやっぱり必要なんですね。

 

物事を考える、思考ですよね。思い・考えるということだけを

やっていくと、おのずと限界が出てきて、

『限界の中だけでしか物事を考えたり組み立てるということができない』

わけですよ。

そうなると妥当性が証明されず、妥当性を証明したものが

いっぱい積み重なってこの考え方って、妥当性保証されましたよ、

というところに行きづらくなります。

 

そういう時に閃きや直感が必要になってきます。

 

それについての私の実体験が、

ずっと紐解こうとしていた神様の話なんですが。

 

神さまがやっていることの中で、コマが500コマぐらい続いて、

一瞬の何か力の発動というのを見ているとするじゃないですか。

一瞬で500コマやから、一気に済んでいくんだけど

何回検証を繰り返しても、この一瞬で済む500コマの

何ヵ所かに空白がある。そこは映っているはずなのに見えない。

 

それを紐解きたくてやっていた時に

「ああやっぱり、もう人だと分からんねんな」というのがあって。

で、ちょっと「もう考えるのやめようか」と思って

立ち上がろうとしたときに、ポケット浅いところに刺していた

ボールペンが全部落ちて。

「もう!」と思いながら思いっきり体を曲げて、

持ち上がってくる瞬間にバッと閃いて

「分かった!」って思ったんです。

 

 

それで「分かった」を言葉にする前に絵に描いていきました。

絵に描いていって、それを空白の所に当てはめていったら、

完全に全部は埋れへんかったけども、ほぼ埋ったんです。

 

ほぼ埋まってから、この絵を言語化して理解を深めていく

というところにもっていったら、今埋ってへんところが

埋まるかもしれへんと思ってやっていって。

その後1ヵ月ぐらいかかって500コマの妥当性をちゃんと保証させました。

 

そういうふうに閃きとか直感とか、根拠も説明も何もできへんけど

『分かった』っていう感覚もやっぱり必要なんです。

その「分かった」の妥当性を保証できるように、

また考えていけばいいと思います。

 

分かったんだったらそれの妥当性を保証できたら

「あ、これ凡そ正しいになるよな」って。

 

だから論理というのを破綻させずに完成させていこうと思ったら、

完成させたものが破綻しない状態を正しく維持していこうと思ったら、

やっぱり閃きや直感というのも発達しているほうが望ましいです。

 

 

続きはこちらです

3:直感とは