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【論理と直感】3、直感とは

論理と直感について

1:論理とは

2:目が合ったのに無視された?

3:直感とは

4:論理と直感は2本の柱

5:論理も直感も使っている

の5つの記事でお届けします。

 

株式会社ぱんだ堂 範田遥洸

 

直感とは

次は直感です。

 

説明もできないとか、なぜそう思ったのかを聞かれると

「勘?」というぐらいしか言えない、

証明することもできないんだけども、

何か分かったという感覚が湧いてくる。

 

この感覚は分かった感覚なんだけど、確証に近いものなんですね。

確証として分かるということ。

 

同じく説明もできへんし証明しようもその瞬間ではないけれども、

物事の真相を感じるとか。

その感じたものを言語化していこうとする中で、その人の論理に

従った理解ができるほうが間違わなくていいですよね。

 

全部が全部をしなくていいし、

誰しもがしなくていいとは思うけれど、でも直感で分かったものを

言語化していくことによって、ちゃんと証明するなり、

論理に従って筋道立てて理解していくことができるほうが、

直感が正しいというのが分かりますし、直感の使い方も分かりますよね。

 

自然に働くものと、

思考を凡そ使わず、脳、体感、視覚などの情報を発動して、

結果的に脳の中から引き出してくるということにはなるけれど、

そういうふうに直感を意図的に使っていくということも可能にはなります。

 

直感というのは、人に備わっている本能的に働くものとか、

動物的に働くものですよね。

命を守る為とか危機を回避するためとかっていうのに

本能的・動物的に働くというのも直感になります。

 

石垣島で出会った鳥

 

脳そのものが情報を直接取るっていうことはやっぱり無いんですね。

脳は見て聞いて感じたものを刺激としてもらって初めて、

それについてナニカという風になっていくから。

 

だから刺激に対しての反応というところがまずあるかと思います。

そういった意味では、本能的・動物的な直感というのが働く人は、

ある程度体感覚が鋭敏な方がいいですよね。

 

見る聞く感じる、皮膚で感じる、肌で感じるとか、

まあお腹の腸も脳として立派に機能するものだから、

頭とお腹と皮膚というのが『3つの脳』としたら、

それで総合的に情報に触れてその情報を使って、

今だったら直感というものが働くことになります。

 

直感の働きが正しくなるように、さっきも言ったけれど

動物的本能であったり、そこからくるものは、体感が鋭敏な方が

感じやすいし、感じたものが脳で分かりやすいというか、

認識しやすくなるかなと思います。

 

スピリチュアル的な直感

 

スピリチュアル的に直感が、と言う人は割と多いじゃないですか。

「なんか分かるんです」とか「なんか閃くんです」とか。

これは誰にでも1日何回か起こっていることなんですね。

 

ふと思いついたり

「あ、そうやった、買い物行こう思って忘れてた。」

「洗濯物干そう思ってたのに、電話かかってきてそのままや」

とかいうのも『思い出そうとしてへんけど、フッと湧く』わけですよね。

 

「もう今朝、子供たち機嫌悪かったから、

子供たちの好きなもの食べさして、ちょっとおとなしくさせとこう」

と思って買い物に行ったとしても、

魚屋さんの前通った時にアンコウが出てて、

見た瞬間アンコウを食べてる自分をイメージしてしまったら、

子供たち喜ばせるよりアンコウ!となるかもしれへんよね。

それは見た瞬間の情報でそういうふうになっているから、

食べたいとか食べてる自分を見てしまったっていうのは

確信じゃないですか。

 

だからそういうふうに日常的に働いているものが人に備わっている直感です。

 

 

例えば神社に行ったり、どこか自然の中に行ったときに

「なんか凄く神様を感じる」というのは「感じる」前に

何を思ってたか考えてたかで私は分けていきます。

 

『感じたもの』を言語化していく過程で、こういうふうに

理解しましたが論理的に成立していたら、

それは何か自分の五感に触れたものがあって

そうなったんでしょうねというふうになるけれど。

 

でも「また神様に繋がりたいな」とか「何かこの間、

神様に繋がったって言ったら、皆が驚いてくれたから、

今日も驚かせたいな」と思っていたら、

これは前提が先に働いてるじゃないですか。

前提条件に従ってそれを再現しようとなってくると、

これは直感じゃないかもしれないですよね。

 

そういうふうに言うと

「ぱんださん、自分もやってんのに人のことは認めへん」

とか言われることもあってんけど、

いや認める認めないじゃなくて、どうなのかは聞くよねって。

 

「どんな神様がいたの?」と言ったら、

それは神様がいたという前提で話すから、もう論理としては

成り立たないじゃないですか。

論理もちゃんと成立させたいし、直感が働いているということも

証明したい。だからそれをやり続けてくるとこういうふうになります。

直接的にだけれども仮説論理として考えた時に、

スピリチュアル的な直感は、脳やシステムが

割と自動で反応する状態の時というふうに捉えています。

 

体感的にとか見る聞くとかを自分が全然意識していなくても

「ここ登ったら、あそこで休憩してお昼食べよう」

「今日汗かく思ったから、お昼のおにぎり、塩いっぱい付けて

握ってきたから、きっと美味しいよ」と思っていて、

そこに行くことと、食べることしか考えてへんねんけども、

その時は当然見ることはしているし、

風で木が揺れてたら聞くこともしているし、

自分が歩いている時の体感の振動とか、

砂利道や落ち葉を踏んでいる時の音も聞くわけじゃないですか。

 

これは見る・聞く・感じるという情報に対して、

自分が考えて意図してることと違うところで、

物事のシステムが働いていますよね。

 

そういう時に割とスピリチュアル的直感が働くんじゃないのかな、

そういうふうにある意味定義づけできるかなとは思います。

 

それが慣れてくると、

言ったら『思考するとも思考せず』みたいな状態で、

割とファジーというのか、そういう状態の時に、

色んなものや刺激に対して反応が出て、その中の現われの一つが

スピリチュアル的な直感になるのかなと思います。

 

葉山の海

 

知識による直感

 

あと知識によるものがあります。

この直感は、私は人だけが持っていて、直感の中では

一番優れているんじゃないのかなと思っているんですが。

 

お餅についてA4用紙一枚の知識を持っている人と。

「すっごいですね、それどこに行ったらそんだけ集まるんですか?」

というくらい、お餅に対してA4用紙12万ページの知識を

持っている人がいるとしたら。

 

これは12万ページのお餅の知識持っている人は、

膨大な知識というのがまず現状あるというのと、

この知識を集めていく過程ですよね。

こんな情報あるよと言われたら、そこに行って話を聞いてくるでしょうし。

 

その膨大な情報が今あります。これを作っていく過程にかけた時間、

そこに費やした自分の情熱、エネルギーというのもあり、

尚且つちゃんと情報を集めるわけだから、

それが合理的かつ分析的に扱われてたとしたら、

ちょっとややこしくなるんだけど、

結果としてその膨大な量の情報というのは

『概念化された知識』というふうに取れるんですね。

 

その『概念化された知識』が自分の中にある一定以上の知識を積んで、

一定以上それをちゃんと自分が理解している必要や、

論理的に理解している必要があるんだけれど。

 

そうなると直感が働くときに、この『概念化された知識』が

論理的に無意識下で働きます。

情報を膨大に持っていて、ちゃんと論理的に扱われてるから。

 

これが知識の習得と、知識を論理的に扱い

理論として体系化させたものがしっかりある人に働く、

考えるともなくそうであると導き出されるものですよね。

 

この『知識による直感』は人だけが持っていて、

人が持つ直感の中で一番優れているかなと。

 

ちょっと熱く語ってしまいますが(笑)

 

 

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4:論理と直感は2本の柱