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ソーシャルワーカーを選んだのはなぜ?/Yさん 対談 第三部

ソーシャルワーカーを選んだのはなぜ?/Yさん 対談 第三部

 
ぱんだと各界で活躍されている方々の対談動画・記事を公開しております。

 
ソーシャルワーカーをされているYさんにお話を伺いました。

 
前話はこちらです>第二部
 

ソーシャルワーカーを選んだのはどうして 

 
ぱんだ:Yさんなりの楽しかったり嬉しかったりはあっても、聞けば聞くほど大変な仕事だと思います。なぜソーシャルワーカーという仕事を選んだのでしょうか。 

 
Yさん:何ででしょうね? 

 
ぱんだ:強い意思があって人の役に立とうということではなく、自分の学んできたことや出会った人との流れでソーシャルワーカーになったのですか。

  
Yさん:この仕事をしている人の中には人の役に立ちたい、困っている人を助けたいという人が多いですが、私はそういうことは全然なく面白そうだなと思いました。進路を決める時に、特にやりたいことも得意なことも夢も 憧れもありませんでした。 
とりあえず大学に行くことと、一人暮らしをしたくて、大学を探しました。 当時としては珍しい医療福祉の学校が岡山にあって、福祉であればいいんではないかと思いました。 

 
ぱんだ:福祉であればいいのではという考えはよくわからないけど(笑) 


Yさん: OLとして働くというイメージが自分に全くなくて、医療福祉ならちょっと違うというのと、県外の大学でも親のOKが出るのではと高校生の自分は考えました。 


高齢者・児童・精神障害・知的障害・身体障害全て学ぶその中で、唯一興味を持てたのが精神科の領域でした。 
 

 

なぜソーシャルワーカーという仕事は生まれたのか 


ぱんだ:わたしはソーシャルワーカーという仕事はなぜ生まれたのか興味があります。 


Yさん:とても苦手な分野です。なぜ福祉が誕生したかという歴史的なことを習った記憶はありますが。 


ぱんだ:なぜ生まれたのかも興味ありますが、生まれたまま変わらずというものも世の中にはあるけど、ソーシャルワーカーという仕事が社会や人の状態変化に合わせて発達してきましたよね。それがなぜなのかというところに興味があります。これについてはいかがでしょうか。 


Yさん:難しいですね。 


ぱんだ:Yさんが思うことでいいので聞かせてください。

Yさん:弱い立場の人がいるからだと思います。それが無くならないのは何故かというところに行き着きます。 


自分が問題をどうにかしなければいけないという視点にいってしまって、問題を解決して掘った穴を埋めては、穴を掘って埋めてまた掘ってというパタ ーンの人が一定数いて、問題解決のループを繰り返している気がしています。それをどうにかしなくてはと思っている人もいるけど、その人達も同じ ことをしているように思います。 


ぱんだ:「今」と今を作っている『今以前』というのがあって、そこになにがしか問題があった。それに気付いて掘って取り出して「ほらこんなのがあったよ、これでスッキリする」と思ったら、後の穴が気になって埋める。それを繰り返している人がいるということですね。いくらそれをやっても改善されないから、そこじゃなく「今」と「今以降」に自分の好きなものだけを集めて行きましょうとサポートする。そういうところでソーシャルワーカーという仕事が発達してきたのではないかというふうに聞いていました。 
 


Yさん:自分でも途中で気がつきました。ゼロとマイナスの間に入って、 プラスの方に行かない無限ループは何だろうと苦しくなった時がありまし た。自分もそのような状態だったと思うけど、気が付いてからはプラスを見よう、穴を埋めているというところではない方に行きたいという自分もいた。プラス側に行こうとする自分やプラス側に行こうとする人が増えた時にこの仕事が必要なくなると思ったことがあります。 


ぱんだ:マイナス側にある埋まっているものを見つけて穴を埋めるのを必死にやるのと、プラス側の社会だけをどんどん見ていくというのはどちらも幸せになりづらいと思いました。 


理由はマイナスだけを見てどうにかしようとやっていた構造と、幸せだけを見ていこう、プラスを産んでいこうというのは、同じ構造をひっくり返して使っているから、結果や成果が出ても幸せからは離れていきます。Yさんが言うように、症状ではなくその人個人からスタートし、今できていることに気づいたら伝えたり褒めたりしてそこを伸ばすというのは、プラスだけを生むのではなく、その人個人の今をベースとして積み重ねることを繰り返していくから改善されていくのかなと思いました。 
 

多くの人がポジティブやプラスの方を見ていこうと言いますが、無理でしょうと思うことがあります。その状況でプラスに置き換えるのは、木綿豆腐を買いに行ったはずなのに無かったから石鹸を買ってきてこれも美味しいよみたいな感じです。 


無理に幸せやプラスでなくてもいいから、その人の今があり今を認識し今を繰り返し、その人のできること分かっていること幸せの範囲が少しずつ広がっていくという視点が、ソーシャルワーカーとして人と関わる時に無理がな くていいのかなと思います。 


Yさん:極端に走って、マイナスを見過ぎていました。 


ぱんだ:マイナスだけを見過ぎると、プラスだけを見過ぎるということが起こります。 
私がマイナスばっかり見てて、次はプラスばっかり見ることになると、どちらもきつくなるだろうなと思います。 


Yさん:理想が極端になっていました。それに気づきました。実際人を見るとそこまでプラスばかり見れていないのでちょうど良かったかもしれない。 


ぱんだ:理想や、こうであるほうが幸せというのは、結果として症状から入るのと同じような世界を生むことになるから、お互いにしんどくなるような気がします。 


貴重なお話をありがとうございました。

 

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