彫刻家の長谷川寛示さんとの親子対談記事をお届けしています。
第一部はこちらです
寛示:仏教だとクンフーって言うけど、クンフーって中国の言葉で、日本に入ってきた時に工夫という言葉に置き換わっていて、その工夫っていう言葉がそのままクンフーを捉えているかと言うとちょっと違ってて。
中国でいうクンフーは物事を成す時に、そこに注がれた時間とか努力とかを指していて、僕は彫刻をずっとやってきてるから、他の人の彫刻の仕事を見た時に他のものよりもそのクンフーが見えやすいっていうか。
例えばお寿司屋さんでお寿司を食べて職人の熟練度がわかることは少ないけど、彫刻を見れば、すごい仕事をしてるなっていうことは結構分かりやすい。そういう意味ではやはり作品の仕事を見ただけでも、わーすごいなこの人はとか、この人はすごい今までと作風が変わったけどそこに至る経緯とか作品を作っていこうとする努力を考えると、この仕事はすごいんじゃないかなとか、自分で勝手に思ってるだけっていうところもあるけど、そういうところから尊敬に繋がっていくかなとは思う。
ぱんだ:クンフーっていう言葉でいくと、それは彫刻に限らず他の分野でも、時間をかけるとか情熱やエネルギーを込めるとか、自分で試行錯誤して自分にとってこれが正しいっていうのをひと つひとつ明らかにしていきながら自分を知るとか、自分で考えて選んで決めてやって、結果に対してどう責任を負ってそれを次にどうしていくかとかっていうのを、やらないとかできない人が結構 いるんだけど、寛示の視点だと、どういうことを気をつけたらそういった人たちが、もっと自分を知 ろうとかできると思う?
寛示:どうかな 。
ぱんだ:自分だったらどう。
寛示:楽しんでやるしかないと思う。本当に好きだと思っている物事に対して真摯に向き合うって言うか。
もっとできるんじゃないかとか、もっとこうしたら良いんじゃないかとか、それこそクンフーっていうより工夫に近くて、工夫していく。もっとうまく進めたいなとかもっと上手くなりたいなとか、あの人こんな工夫してる、こういう工夫に至るまで努力して物を作ってるんだなとか、そういうところに感動する。そういう意味ではやっぱり好きなことじゃないとできないし、好きになることも努力のうちと言うか。わからんけど。
ぱんだ:寛示はそう思う、そう感じるから、今のような言葉で表現したと思う。
寛示:自分にとっては、美術とか物を作ることが、だからこそ努力ができたし工夫しようと思うしと いうところもあって、これが全然違う仕事だったら、マニュアル通りにやってけばいいかみたいなことにもなってたと思う。だからそれも自分で選んで行くと言うか、自分で選んだものだからこそ責任を持たなあかんと言うか、そういうところかな。
ぱんだ:俺も自分のやることに責任を持つし、楽しむか楽しまれへんかとかは関係なしに、そこに 常に真摯に向き合うっていうことはあって、出た結果に対して検証していくっていうことをやってい くから、今寛示が言ってることはよくわかるなと思う。
それを違えずやり続けてたらやっぱり自分の世界は確立していくだろうし、さっきの話の中にあった、いかに嘘をつかず正直にっていうところも、違えずやっていけるんじゃないのかなと思ったけどね。
彫刻って、何でそんなに好きになったん?
寛示:なんでかな。
ぱんだ:彫刻とは違うけど、高校ぐらいの時に俺が根付彫ればって言ったら、あの時は全然興味なかったのに。
寛示:興味なかったなぁ、根付には。
ぱんだ:根付と彫刻は違うけども、彫るとか造っていくいうことは一緒やと思うねんな。
寛示:でもそれはやっぱり…。それって中学校の時やった?高校2年生の時に、金沢の美術館にグレイソン・ペリーの展示を見に行って、それが今にして思うと美術をやるんや自分は、というきっかけとして結講大きくて。
なんでそう思ったかって言うと、その人の展示を見て初めて「美術ってものを作ることじゃないんや」って知った。ものを作る先にあるメッセージだったり、私はこうやって生きていくっていう決意だったり、そういうものを初めて人の作品から感じて、それでそのために作品を作るんやなってそこで初めて知った。
そういう意味では、根付とかも本当に根本的に言うと自己表現なんやっていうところに繋がっていくとは思うけど、ちょっとそこよりもより表現の幅の広い、美術とか現代アートみたいな方に興味があったから、そっちに行くしかないなぁみたいな。
ぱんだ:寛示がやってる彫刻は現代アートの中に含まれるの?
寛示:と思って自分ではやっている。
ぱんだ:樹脂かなんかで型取りした革ジャンの作品あったやん。鋲がいっぱい打ってあってお寺のマークついてたの、卍か、あれすごい好きやってんけど、あれはどういう着想から作ろうとした?
寛示:あれは何て言ったらいいのか、タイトルは『汗をかく声になる』というタイトルで、これは作っ てた当時聞いてたサイコビリーバンドの歌詞からとったんやけど、汗をかく声になるって何かめちゃくちゃかっこいいなと思った。ものづくり精神そのものって言うか、自分の行動が形になるし声になっていくみたいな。そういうメッセージが、まさにそれは僕が彫刻をかっこいいと思ってたところそのまんまかもと思った。
それでその最初の感覚をベースに、ファッションという、ある種今は流行というよりも消費物みた いな側面のあるものを彫刻にすることで流行から逸脱していくと言うか、消費活動から逸脱してい くみたいな彫刻にすることで別の意味が加わっていくというところを、膨らませていって作ったっていう感じかな。
ぱんだ:『汗をかく声になる』っていうところなんやけど、あれが例えばああいうパンクなファッションと卍マーク、仏教というのが合わさった形でそう表現しようと思ったのは、そこはどうして。
寛示:当時、確かレディーガガやったかな、日本のハードコアバンドのペイントかなんかがしてある革の鋲ジャンを着てて、それがなんかすごいビジュアルとしてはかっこいいけど、レディーガガが 着る必然性がわからんて言うか。パンクってそんなファッションやったかなみたいなところがあって。
とはいえ日本人でもそういう、ファッションだからという、自分のポリシーとは関係なくファッションと して身につけているけど、そのファッション的なアイコンがどうやってできていったかという歴史を 踏まえてみていくと、そう軽々しく身につけてはいけないような歴史を持ってたりということは多々あって、それは自分がその自己表現ということで作品を一生懸命作ってたから、余計にその違和 感を感じてたのかなと思って。
それで革ジャンにはよくハーケンクロイツが書かれていて、それはネオナチとかヨーロッパにおけるパンクの歴史みたいなところと紐づいているんだけど、スキンって言ってスキンヘッドにして、 (ぱんだの頭を指して)こういう感じのパンク、ジャンルと言うか歴史の一つがある。でもそれこそ軽々しく身に付けれないと言うか、そこをもっとかっこいいからとか可愛いからじゃなくて、深く考えていくきっかけになるような彫刻になるといいなとは思っていて。
だからハーケンクロイツを卍に置き換えて、シルエットが反転しているということと、仏教では人種差別はあり得なくて、人には違いがない。全く違いがない人を区別するとしたら、何をやってるか によって区別されてるけど、それは生き物としての違いではないというのが2600年ぐらい前の釈迦の教えで、シルエットが反転すると意味も反転するというのがすごい面白いなと思って、卍に置き換えて作品にしたというところです。
続きはこちらです。
アーティスト対談一覧記事はこちらです