板垣昭子さん対談記事をお届けしています。
こちらは第四部です。
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ぱんだ:例えば人が豊かに生きていくということを現代人が見ているのは、お金という豊かさや、それである程度確保できるステイタスも含めて豊かと捉えていると思うんです。
その為には技術や思考の方程式のハウツー的なものだけが発達していってもおかしくなかったけれど、心のあり方とか働き方、それが生き方にどう影響するかというような心理学が発達しています。
私はなぜ心理学が発達してきたのかとよく考えます。あっこさんの体験や視 点からなぜ心理学が発達したと思われますか。
板垣さん:例えばですけど、私の旦那さまは身体のしくみや臓器のことに尽きない興味があって、探究が止まらないんですよね。もちろん私たち自身が人間なので、人に関して「ボディ・マインド・スピリット」と分けると、彼はボディとマインドが面白くて、私はマインドとスピリットが面白いんですよ。 スピリチュアルな世界は非常に効果が早いですし、効率がいいですよね。ほんとうにそれが真っ当なものであれば。
ただ素人には見極めが難しいことと、ぱんださんのように突きつめていらっしゃる方も非常に少ないし、まずどこに学びに行けばいいのか、鍛錬の仕方すらよくわからないですしね。
スピリチュアルな世界は、今まで宗教的なものしか存在しなかったということもあるでしょうし、時代的には私たち女性からすると、ヒエラルキーなど、どうしても男性的なものが多かったと思うんです。
病は気からというように「ボディで起きることもマインドから発している」場合が多いということ、それから探究してゆくのにきりがないっていうことでも私はマインドの探究が一番面白いです。
一生学び続けられるような、辿り着けない深度と、自他ともに貢献できる「現象化する作用」があるからこそ、お伝えしがいもあります。 取り組んでいけば着実に、日常で具体的に楽になったり、いいふうに知覚が変わるってことですね。
当然ながら現象界的にはタイムラグがあるわけですけど、取り組んでいくと 少しずつでもお仕事や子供さんの状況、旦那さまとの関係などが変化したりと、現実が変わっていきます。そんなふうに日々実験で、筋道を確認できる仕組みはとてつもなく面白いです。
やってもキリがないもので、ずっと興味深いと思えるものに出会えるって、とても幸せなことで。そういう意味では自分にとって心理学はやっぱり、深めるほどに面白いものだなって思うんです。
ぱんだ:あっこさんはそう捉えているんですね。
板垣さん:はい。それに自分が、ハッと視点を変えられたことや、結果幸せを感じられたことが、そのまま人様のお役にも立てるのはとてもうれしいですね。
ぱんだ:あっこさんと同じようにマインドについて興味を持って、尽きることない自分の探究心とか欲求もあってどんどん世界が広がっていく。知ったこと が役立って人が変わったりしていくのを見ると、マインドが面白かったり興味深くなっていく人たちがたくさんいて、そういう方たちが心理学を発展させてきたのかもしれないですよね。
板垣さん:そうですね、先輩方も分かりたかったんだと思います、どうしてこうなるのかって。何か法則があるのかって。
ぱんだ:小学校ぐらいの時に、学校の先生や親や近所の大人の人を見ていて、この現象を見てどうしてそういう考えに至るのか不思議で仕方がなかったんです。
分かりたかった人たちがそういうことのデータを取って、わかりやすい形にして人に使っていったら、こうなったこう変わったじゃあこういう可能性もあるよねという感じで深まっていったのかなとは思います。
板垣さん:「人の悩みのすべては人間関係に行き着く」と言いますけど、スピリチュアルな人は答えがわかるじゃないですか。その上で問題になるのは、「答えは知ってるんだけど式がわからない」っていう感じだと思うんです。その筋道というか、式になるもののひとつが心理学だったのではと思います。逆算していくと解けるよね、みたいな感じ。
ぱんだ:自分が何に興味を持って何を学んでどうやって生きてきたかで、使う方程式が違っても答えが同一化される事もあります。できれば、その答えはこれでいいけどどういうふうに導き出されたかがセットでできるようになったら、スピリチュアルなところだけが長けてて社会や環境に受け入れられにくい人が、もっと受け入れられたり活躍できる場が広がると思うんですけどね。
板垣さん:心理学でいうと「特別であること」は、陥る罠の一つとして捉えられていたりしますよね。特殊であるとか変わってるとか、魔女っぽいとか宇宙人っぽいのもそうなんですけど、「いやいや全然特別じゃないよね、もうこの時代なら、多かれ少なかれみんなそういうところあるよね」という感じでも、癒しは提供できると思います。良く も悪くも特別扱いされるのは、アイデンティティと混乱してしまいやすいですもんね。
よく言う「見える、聞こえる」っていうのは、「料理が上手い」とか「走りが早い」のと一緒だよってふうに扱っていくと、個人の日常の幸せとしては、むしろバランスが取れていくんではと思うんです。
突出して特殊能力があれば、持てはやされるかもしれないし、お金持ちにもなるかもしれないんだけど、それが本当にその方、個人の幸せに繋がるかというとそうじゃない場合も多々ありますもんね。
今の時代では、罠にかからないで普通に、個人として幸せな在り方を共有していけるといいなぁと思ってます。
ぱんだ:良くも悪くも特別視したい、されたいと思ってしまうところや、それを持つがゆえに自己表現が正しくできなかったり、自分ができることをやらない、本当はできないことをできると言っちゃうことが起こってきます。あっこさんならどういう形で提案やアプローチをして、その方が幸せの方向に向くようにしていきますか。
板垣さん:もちろん、お医者様の判断などが必要な状況の方はわたしの担当外ですが、今の日本に多いといわれる「ハイリーセンシティブ」な方々についても、 たとえばその個性を印籠のごとく使うのは違うよね、とよく語られていますね。で ももし、ことさらにそう言いたいのであればおそらく、それは「特定の誰か」に対して言いたかったのではと思うんです。
それである、ことによってどんなメリットがあったか。何かができない、ことによって何をしてもらえたのか。もしくは、できてしまう、と何をしてもらえないと思っていたのか、などのパターンは、当然ながら家庭内でもあったのではないかなと思います。いったいそれは誰に聞いて欲しいことだったのか、本当はなぜそうでありたかったのかなどを、みていったりします。
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