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【考える】4、事実と編集された記憶

考える

1:考える、悩む、物思う

2:気分や周りの人の機嫌につられてしまう時

3:悩みしらずの思考法

4:事実と編集された記憶

の4つの記事でお届けします。

 

 

考えるために必要な素材

楽なほうに流れていく人は、一定数いると思うんですね。

 

「今までやってもらってたのに、なんで自分がしなきゃいけないんだ」
「俺だって忙しいのに」
というような。

スマホを3時間見てる時間はあるけれど(笑)
そのスマホを3時間見るというのが、その人の生活のサイクルの一部だというのはわかるんですよ。

 

ただ、それは今までそうだったけれど、これ以降それを採用すると、少なくともあなたは生きづらくなりますよ。という事を、ご自分のものとして捉えることが出来たらいいんだけれども。

 

「うちのおかんが起業とかおかしいことを言い出してさー」
「なんで今更、起業とか、家のことやってくれてる方がいいわー」
とか、これは子供からしたらもっともかもしれませんが、

 

「おかんが家にいてくれた方がいいわっていうのは、誰が良いの?」
とは、やっぱり聞いてしまうんですね。

「みんなだ!」とか言われたら
「みんなって、誰と誰と誰?」
「みんなって家族やん」とか。

 

「家族はみんな、そう言ってるんだよね。」「たぶん」って
「だったら、一旦そこを確認しようか」とか言います。

「みんなそう思ってる」と言っていても、
「皆の意見が一致したとしても、それはお母さん以外のみんながそう思ってるだけで、お母さんはこうしたいって言ってるんだよね。」

 

言いくるめるんじゃなく
現実どういうことが起こってて
お母さんと自分たちの考え方の違いを知ってもらって
お母さんがしたいことに対して
みんなはそれをやられると
自分たちが今までしてもらってた家事を自分たちが負担しなきゃいけない。
それについて文句が出てくるからして欲しくないということだよね。
自分がそういう風に家族とか家族以外の他人にされた時に、みんなはヨシって思える人たちなんだよね。
とかは聞きますね。

 

だから事実どうかっていうのを仮定した内容についてどう思うのかとかを聞いて。
「じゃあ。自分はされたら嫌だけれども、お母さんには嫌なことをやれって言うんだよね。責めてるんじゃないよって確認だよ」とか。

そういう風なことを確認して、考えるために必要な素材を集めていきます。
この素材集めは事実認識と言って、また別の話にはなりますが。

 

相手の話を聞くということは、膨大なものをその都度その都度、ずっと組み合わせながら聞くっていうことになるから、人によってその聞き方とか考え方は違うと思うけれど、ぱんだ堂ではそういうふうに考えるということします。

 

 

話がずれてしまう時

 

―確認をしているだけのつもりが、話がずれていく事もあると思うんですが。

 

私の場合は、質問して答えてもらっているがずれていったら、話そのことについて話し終わってから
「そういう風に考えるんですね。ただすみません。今話したことって、私が聞いたことに対しての答えじゃないんですよ。こういう事なのですけどどう思いますか」
と、ちゃんと私が聞いたことに答えていませんということを伝えます。

 

「それはわかりました。それは尊重しますけれども、質問はこういう事なんですよ。だからその聞いたことに対して、答えてもらっていいですか」
と、話をもとの道筋に戻すということをします。

 

私の場合は、事実を確認するとか
その必要な要素素材を集めていき
事実を認識するためにやっているから
事実認識というこのスタートがあり
1つのポータルがあったとしたら
ここから質問してここに返す。ということをずっとやるます。

これは質問する側がちゃんと意図目的がわかってて、そのために行ってたらずれることはないんだけどね。

 

ずれるという事は、聞く側が相手の話を自分の中で歪曲してしまった結果、ずれていくという事が起きているかもしれません。

質問をする側が相手の話を聞いて
「あーわかるわかる。私もそういうことろがある」
とか共感した時に、わかった瞬間から自分のストーリーの視点で聞いてしまうから、相手の話を聞くっていうことができないんです。

 

 

ですからずれていったり、自分の感情とか思いと深くつながる出来事に似たようなものを見てしまったら、聞く側がぶれてしまったり、揺れてしまったりして、正しく応対できないということもあります。

 

あとは、決まったパターンの中で答えを出していく、成果を出すコンサルだと
「そういう考え方は捨ててください」とか
「そうじゃなくてこうやってください」
というところで、これは相手の言っていることを聞くというより、このやり方このパターンで成果が出ますからこれをやってください。ということになるので、そういうズレは出てきます。

 

ただ聞く

ただ聞くという話もまたありますが、『相手の話をそのまま聞く』という聞き方と、『質問する』という意味での聞き方と両方の聞き方があります。

 

『相手の話を聞く』というのも、聞いたらみんな頭の中で勝手にいろんなことを連想してたりするんですよ。
ただその連想してる間は、いえば脳はものを考えている状態に近いから、どんだけ集中していても考え事してる以上、ちょっと上の空で聞いている状態になってしまいます。

 

考え事が終わって集中した時に、その考え事が入る間が空白になっているけど、空白状態がない状態で連結するから、ものすごい変な状態で連結してしまいます。

 

過去の話をしている時に、相手の心の声が聞こえる機械があったとして。
「あーいるよな。こういう考え方をする人。悲劇の主人公っぽくなっちゃって。でもわかるわかる。そういうふうに否定されて生きてきたんだって。家族の中で体よく言いくるめられて、社会に出ててもそんなんだろうなー」
っていうのが聞こえてきたら、嫌だなってなるじゃないですか。そんな風に思われながら聞いていたんだってなったら、嫌ですよね。

 

今すごく極端な言い方をしましたが
そうでなくても、相手の話を聞きながら自分のものに置き換えていく
自分のものに置き換えて聞いていくということをやる人が多いです。

 

ただ聞くのは、意味づけすることなく、相手が言っていることをそのまま本当に聞くんです。

 

 

聞く時には相手の筋肉の反応とか、動き方とか、話してる時の眼球の動き方、呼吸、緊張している弛緩しているとかの動き姿勢の変化とか、知覚のシステムってという見えないものだけども、システムがどう機能しているかとかを漠然と観察しながら聞くということをやります。

 

例えばすごく賑やかな渋谷のスクランブル交差点のちょっと横の花壇に座って、瞑想をしているような感じに近いですね。

 

 

内側に入り込むこともなく、外側で起こっていることを見て聞いて感じられてるけども、そっち側にもいかず。その間にとどまってるような感じ。

 

でもすごい成果を出している人は、おそらく皆そういう状態を自分で作ってはるんだと私は思っています。

 

言えば常にニュートラルな状態ですよね。
外にも内にもにも感覚が動くけども、どちら側にもよらない状態です。

特性と強み 範田遥洸

 

編集された記憶

私の聞き方は、客観的に話している内容と、事実事象の差をどうやって埋めていくというような感じです。

なのでその出来事があったとして、今の表現になっているかとか。
その同じようなことを体験してもそうならない人がいるのに、この人はそうなっているんだ。
それはどこからきてるのか、とか。

人って起こった客観的な事実事象をそのまま記憶するということは絶対しないんですよ。
よほど気をつけて事実認識するっていう訓練をしていないと、起こった事を自分の感情とか思いと一緒に記憶します。

 

こういう体験をした。
みんなはすごく楽しかったけど、私はあの時ちょっと仲間外れにされたような気がして悲しかった。
それも気付かずみんなが盛り上がっているのが、なおさら辛かった。
時々誰かが気にして振り返ってくれるけど、その優しさも嫌だった。とか。

嫌だったら帰ればいいのに、と、
自分の中で沸いてこないのかなとは思うけど。

 

「それでもそこにいたのはなんでですか?」
「仲間外れになりたくなかったからです」と質問をし、
「その状態は仲間外れではなかったんですよね」と聞くと、
「仲間外れだったと思います」
と返ってきたりします。

 

「整理していいですか?
仲間外れになりたくないから一緒に行った。
仲間外れになりたくないから一緒にいた。
にもかかわらず、仲間外れだった。
じゃあ行かなければ傷つかなくて良かったんじゃないですかね。
それは行かないとどうなるかを考える自分がいるから。
あなた自身が、行かなければどうなるかに沿って物事を選んでいるから、その場所にいても楽しくないし、その場所にいても今を楽しむことができないんじゃないですか。
おそらくその時も、終わった後のこととかを考えてなかったですかね」
とかは投げかけています。

 

全部を聞いていくのです。

 

強みとは 株式会社ぱんだ堂

 

「そんなに嫌だったらどうして嫌だって言って帰らなかったんですかね」とか。
みんなは全然仲間外れすることもなく、
その人も含めてみんなで楽しくやってたって認識してるかもしれません。

 

 

同じ体験を10人でしても
それぞれは認識の仕方は違うというのは
自分の世界観とかルールに従って
物事を見て感じて自分もその自分の物語の主人公において
その自分が感じた思うとか感情と一緒に記憶するから。

事実ではなく、編集された思いとか感情を主体にした内容で編集して記憶するからなんですね。

 

10年悩んでいること苦しめられていることがあって
いろんな人に相談するけど改善されないとか。

考えを取り入れて、その時は気分がいいけども
またすぐに戻るという場合。

体験した出来事によって出来てしまった状態というのがあったとしたら、今後この状態を改善するためには体験は関係ないかもしれません。

 

捏造というと言葉が悪いですが、捏造がわかりやすいから使いますが
もし、体験が捏造されたものだとしたら、
捏造された内容に沿ってどんだけ変えていこうとしても
今、ご自身は変われないですよね。

変われない時の大きな1つのパターンとしては、
捏造された過去を触るよりも、
現場から「どうなりたいか」というのを答えてもらって
「じゃあそれ何年後ぐらいになれたらいいですか」
「できるだけ早く」
「できるだけ早くって言っても、種まいて明日に実ははならないですよね。1年とか2年とか3年だったらどれぐらいまでなら我慢できますか」

これは最長どのぐらいできるかというのをざっくりとだけど出して、
「最長5年待てるとして、出来ればどのぐらいになればいいですか」
「1年後」と答えられたとする。

「じゃあ1年後から5年後の間に変わればいいんですよね。そのための方法を考えましょうか」
と考えていきます。

 

そうする事でその通りやってくれたとしたら、過去の捏造された記憶が残っていても、今の自分は変わっていけますよね。

 

 

もう一つは、体験よりは体験でできた自分を繰り返し繰り返し思い出しては、
百回思い出して悔しくなったら、百回分悔しさが積み重ねられているんですね。

 

原体験、ある程度を脚色されててもこの状態を繰り返し思い出して
都度現実として体験を繰り返してきたから強固になってしまってるんだったら
この状態を軽くしていきます。

「なんでそんなに繰り返し繰り返し思い出すんでしょうね」
「なんでその都度実体験するぐらい悔しいんでしょう」
ということを明らかにしていきます。

 

積み重ねられて強くなったものを緩和していくということと、原体験を見て必要な改善方法を見ていくということなどを回していきます。

 

人っていろんなことを無意識にやってるんですよね。
その悔しさを積み重ねるのも、言ったら編集作業になるしどんどん歪曲されていきます。

 

先の話ででた子どもの進路の話だったはずが、家族を大事にしてないところに行ってしまった感じです。

歪曲してしまった状態というのは、これも元の原体験とはもう本当は関係が無いです。

 

だから歪曲したものを戻すとか、現体験がどうとかではなく、
この状態がどうなればいいか。
今から未来に向かってどうなりたいかを選ぶ方が変わりやすいです。

 

 

自分も正しい考え方をして求めているところに行くように考えて提案するし、お客様にも質問なげかけることによって自分の内側を見てもらって考えてもらう。本当は何を求めているのかな、どうなりたいのかな、求めているものと感情とは別物なんだ、でも感情はわけれません、いいですよと。

 

そういうことをちゃんと言語化して伝えて、こういう風に考えていく方が変わる可能性は高いですと相手に言って、同意してもらうために

ぱんだ堂ではいろんなものを使って、今回のテーマでいうと考えるということを大切にしています。