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【選択の基準】3、頑張るけど結果につながりにくいとき

選択の基準

1:自分を責めなくていいし、人を責めなくていい

2:現状のスペックと採用しているOSの規格

3:頑張るけど結果につながりにくいとき

4:一生かかっても変わらない側を選ぶか、3か月で変わる可能性を取るか

の4つの記事でお届けします。

 

 

頑張るけど結果につながりにくい人が採用している基準

いつもしくじってしまうとか、とんでもないことがおこる場合のスタートを見ていった時に、
「声をかけてもらって、そんな大きな責任を持つのは無理だと思った。でもこういうのを変えていかないと成長しないし、活躍することを自分も望んでいるんだ、という気持ちが出てきた。じゃあ、失敗してもいいからやるだけやってみよう、何事も経験だ」
でスタートをしたとすると、

「失敗してもいい、やるだけやったら経験だ」
を基準にしてスタートすることになり、これは
「やるだけやって、うまくいかなくても大丈夫」
というような基準になるんです。

 

成功するためにありとあらゆる強み才能とかの資産を使おうという姿勢ではなく、頑張ってる感、やるだけやった感を出そうする側を無意識に使ってしまう。

 

自分は一生懸命やっているし、すごく考えている。
これは本当に一生懸命やるけど、選択の基準のスタートがそこだから、その基準に沿ったプログラムが機能してしまいます。

これは頑張るけど結果につながりにくい人が採用している基準によくみられます。

 

なにがなんでも結果を出さなきゃいけない訳ではないけど、言われて求められているものに対して、それを結果として出せるという基準からスタートするほうがやっぱりいいのかなと思います。

 

 

やり終わりました。
終わった後に初めて『やるだけやったのが経験だ』という基準が出てきたら、自分を責めることなく、起こってたことを正確に見ようというプログラムが働くことになります。

 

事を成した後に振り返り等をするときには『やるだけやったことが経験だ』という基準はすごく役立ちます。

 

 

例えば今この話を読まれて、難しいって思うのは、読んでから少ししか時間が経っていないので、難しくて全然OKです。

 

初めて目にした意味のわからんことを「へー難しい」を思わせてしまう所にも『選択の基準』が働いているんです。

「へ―面白い、そんな面白いことあるの」って言うような基準が働けば、「わー!おもしろーい!」ってなりますよね(笑)

 

そうやって聞くと、難しいなって思った時や言ったことには気付くじゃないですか。
この基準でなく「そうなんだ、楽しい」という言葉に置き換えていくようにしていくと、それに沿ったプログラムが作られていきます。

 

基準そのものを作ろうとするのは、人では難しいです。

 

でも「難しい、わけわからん」と思った時に、それはこの基準によって作られたものだから、新しい基準を作るために「おもしろい!そんな世界があるんだ!それだったら楽しい」を自分の中で言っていくと、その言葉にそったプログラムが一定期間で作られていくんです。

 

「ありがとうを何万回言ったら変わる」みたいなのは、あながち嘘ではないんですね。

 

エレベーターに乗った時に言っている人がいたんです。
「ありがとうございました」とずーーーーっとうつむいて、連呼していて、それは何回言ってもプログラム作られへんなぁと思いました。

 

それだったら、お掃除してる人を見たり
お茶を出してくれたとか
そういう時にある程度実感を伴って「ありがとう」を言っていくと
自分に対してして、いただいたことに対して
自然と感謝が湧いてくる基準が作られていきます。

同じ「ありがとう」を言うのなら、一日一回でも二回でも、実感を伴って言うという事を一定期間していくと、そういった『選択の基準』が出てきます。

 

『選択の基準』そのものを作ろうとすると荒唐無稽になるけど、そう在りたいとか、そうなればいい、を実感をも持ってやっていけば、『選択の基準』が作られると思うとやりやすいんじゃないかと思います。

プログラムに意図的に関わっていくことによって作られる実績がでてくると、自分の言って行ったことに対するものが作られやすくなっていく。
そうなっていくと、人としての在り方とか、心の状態の話になっていきますね。

 

 

プログラムが言動に沿って作られやすくなっている時に、50、60歳にもなって、誰かがすれ違う時にこっちを見てた、看板見てただけなのに目が合った気がして睨んできて、と思ったら、それを活発にしていく『選択の基準』が作られやすくなります。

 

品が良くて、人に対して慈しみの心が常時働いているような人は、所作とか言動にそれがでているんです。
だから日々生きているだけ、人と関わっているだけでそこを促進していくような基準が日々更新されていく。

 

偽善でやる人もいますよね、見て欲しいとか。
それが心底、人に対して慈しみの心が働く側のラインに乗っかっていたら、真似ていてもそこを促進する基準は作られていくけれど、七割くらい偽善だとしたら、偽善側を促進する基準が作られていきます。

 

そのものに沿って正しく行っていると、言動と一致した基準っていうのが作られる。
そうじゃない虚偽な状態であると、不一致に沿った基準というのが作られていくのです。

 

同じ『みんなで豊かになろう』『人間関係も生活も豊かになっていきましょう』といっても、本当に慈しみとか、相手を思って言っている人と、そうでない人とでは現れ方が違ってきますね。

 

 

選択の基準という概念に添って見る

基準を見ていく時にやりやすいのは、日々の食事、献立考える時に何を基準にしているかを、週に2,3回でも見るとか。

 

服を買いに行く、かばんを買うときとか自分に対してお金をかける時ですよね。
どういう基準を採用しているか。

 

お子さんがいる家庭では、子どもが着るものに予算を先に回して、お母さんが自分のものを買う頻度が低くなると聞くことがあります。

そうなった時に、今はそれでいいと心底思えていたらいいけど、なんか自分は自由に出来ないなと思っているとしたら、子どもたち優先という基準を一旦横に置いて今回は自分が欲しいものを優先的にという基準を採用するだけでいい。
そういうのはわかりやすいかなと思います。

 

夫婦、親子、ぶつかり合い、喧嘩になったり、気まずくなったりがあるんだとしたら、そういう時自分は何に拘って、どういうことに反応しているか?から入っていったら、こういう基準じゃないだろうかと気付くと思います。

 

これは基準が合っている。合っていないよりは、『選択の基準』という概念に沿って自分を見るという習慣をつけることで責めたり、自分を否定したり、攻撃したり、不和を生む事がなくなっていきます。

そこに重きを置いてやっていくといいかなと思います。

 

外の社会で、うまくいった、感謝されている時、
どういう基準、どういう選択の基準に沿ってこうなったんだろう?
などをみていくと、こういう基準なら他にも活かせるかもしれない。とか
こういう『選択の基準』を選べるなら、こういうのも選べるかもしれない。
など、別の可能性も広がります。

 

自分で見ていくと確定できるものがなかなか無いかもしれませんが、確定させようとか、これらを明らかにするというところから離れて、概念に沿ってみるをしていくと良いです。

自分にとって利得を生んでいるもの、感謝されるものの活かしどころの可能性を知っていくことができます。

 

合っているかどうかが重要ではなく、その概念に添ってみるという習慣とか、そういう自分を育てる側が大事ですね。

 

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4:一生かかっても変わらない側を選ぶか、3か月で変わる可能性を取るか