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もっと幸せを感じるには/板垣昭子さん 対談 第二部

もっと幸せを感じるには/板垣昭子さん 対談 第二部

板垣昭子さん対談記事をお届けしています。

こちらは第二部です。

 

第一部はこちらです。

第一部

 

 

 

板垣さん:「自分をさて置いて育む」いうことは、思いどおりにならない、自分以外の存在を大事にするということで一番鍛えられますね。その分可愛かったり楽しかったり、喜びも同時にあるものですけれど。
ただそれ以外の斜めの関係、おばちゃんが同居していたり近所のおじいちゃんが口出ししてきたり、そういういい意味での複雑さは今ではあまり見られないと思います。

 

ぱんだ:そうですね。確かに子供の時、近所や周りがやっぱり何かにつけてうるさかった。やってること見てて良くも悪くもアカンと思ったことは注意してくれたりする。それをある程度その地域が良しとしてましたよね。

 

板垣さん:地域にどんな人がいるのか、マンション暮らしになったり学校もクラスが増えたりして、もう把握出来なくなってきたのも昭和からですね。

 

ぱんだ:言葉や表現に差別用語となるようなものを使わないように、そこは意識は高くなったけど、実際にサポート援助が必要な人に対して関わろうとしてるかというと、そこはどんどん薄れていっている感があるんですけどね。

 

板垣さん: その部分はどんどんオンラインや希薄になっていたり、今は表現が苦手な人にとっての機会は失われていってるかなと思いますね。

 

ぱんだ:ですね。何か言って起こることに対しての過剰反応ですよね。やった事の責任を取らなきゃいけないから、言葉に出せない行動に移せないということがあるんですけど、これは心理学的に見たら何か過去に原因がなくても 起こり得るものだと私は思うんですね。

 

板垣さん:そうですね。私は教育も大きな要因じゃないかと、すごく思います。正解を求められて、その答えを空気を読んで書くのが明治から続く昭和の教育ですよね。問題が用意されていて、正解がセットで存在することが大前提の教育が、今の考え方につながってるのかもしれないと思うんです。 まずは、いったい何が問題であるかを見つけ出すのがリアルな生き方だと思うんですけど、それに対してみんなでどうやって答えを導き出すかという訓練を全くされず、社会に出たとたんに、「さあ、何が問題でしょう」みたいな。

 

昔は大企業なら研修が丁寧にあって、そこで問題を用意されて訓練したりしていたんでしょうけれど、しばらくしたら、全然違うフィールドに飛ばされてまた一からになる。誰しもが抜きん出ないようにする、疲弊する参勤交代みたいなシステムが成り立っていたと思うんです。何でも無難にこなせるけど個性は表現できない、よく言われますけど、そういうのはおもに、教育の弊害じゃないかなと感じます。

 

 

 

もっと幸せを感じるには

 

ぱんだ:そういう個人や社会に対して、心理学という視点で関わるとしたら、どういう関わり方、学び方をしていくと、人は今よりも幸せを感じられたり 自由を感じられたり、やりたいことを遠慮せずやれると思いますか。

 

板垣さん:師匠と「魅力的な人ってどういう人か」ってお話をしていたら、「感情が豊かな人」だって言ってたんですね。感情が豊かな人って笑ったり泣いたりしてて楽しそうで、確かに正直な感じがします。

 

それが魅力的なのは、そこに蓋をしちゃっている人が多いからだと思うんです。

 

いい人を演じるのを、みんなすごく上手に身に付けざるを得なくて、後天的に学び取っていきますよね。いい人とは、このような行動をする人、気を使う人、空気を読むというのはこういうふるまい、って。結局自分が嬉しいのか楽しいのか、今何が食べたいのか、自分の希望なのか、じつはお母さんの望みだったのか分からなくなる。そうすると感覚が麻痺したみたいになって、感情もほぼ動かない状態になるのかなと思うんです。

 

蓋をしているのは嫌な感情を感じたくないからなので、ものすごく嫌なこともないけど、ものすごい喜びを感じることもなくなっちゃうんですよね。

 

ぱんだ:おっしゃる通りですね。真ん中の薄い層の辺りで、日々を平凡に浮き沈みなくやっていけたらいいなって。

 

板垣さん:「波風立てない」「世間様から後ろ指を指されない」とか、そういうことが優先順位になっていたのでもあると思います。結果、波風立てないけど、波風がないから面白くない、という。

 

ぱんだ:確かにそうです。私のところに来られる人たちの中にも、大きなアク シデントとか不幸を回避できたら、大きい喜びとか成功もなくていいという脳の構造になってる人がそれなりにいます。

 

だからお仕事をすごく一生懸命やって成果も出てるけどステップアップがしにくかったり、本当は今に幸せがあるはずなのに日常で幸せを感じられなくて、結婚して生活してても苦しいと感じたりする。

 

共通してるのはやっぱりその波風立てないとか、平凡に安定してみたいなところはありますよね。

 

板垣さん:出る杭打たれる文化でもあるから。

 

ぱんだ:それは消えないですよね。どの時代になっても出る杭を打ちたがる人がいるから。

 

 

板垣さん:そうですね。
わたしは18歳で日本を出たのがすごくよかったので、子供たちにも勧めてしまうんです。家庭や国の持つ概念や世界観を出ることのいいところは、ひと つにはこれが絶対じゃないのがわかることですよね。

 

ユニークであるとかオリジナルであることが、西洋的には割と許可が下りやすいと思っています。

 

出る杭は打たれる文化にも良い面、悪い面ともちろんありますよね。協調性があるのは良いことだし、みんなで足並みを揃えたいって思いもあったりして。ただ、それはあるところまではうまく機能するけど、当然足かせになるタイミングは来るものだから、その時には、変な人にいっぱい会えばいいなと思ってるんです。

 

ぱんだ:自分の常識の枠の外にいる人たちから刺激や思考をいただくということですね。

 

同じようなところにいる誰かがそこから抜けようとすると置いていかれる気になるとか、誰に会っているのが気になる人に、周りを気にせず自分を伸ばしていく、ユニークスキルを磨くのを認識してもらうのに、あっこさんならどういうふうに関わったりアプローチされますか。

 

板垣さん:比較競争は、よほど鍛錬された方でも完全にはなくならないものかと思いますが、基本的にふまえたいのはまず、その比較対象がなければ、 自分の存在もうまく認識できない、という前提ですよね。違いは多様であってこそだし、もちろん素晴らしいことですけど、そこから自己卑下に繋がっ ていくのが問題なのですもんね。

 

多くは、例えば兄弟姉妹がいる方であれば、そこでの比較の状況が記憶の最初にあることが多いと思います。まずはどういうパターンが、いつ頃出来上がったのかなどを見ていきます。今の時点で、その同じパターンがいわゆるネガティブな、制限的なものとして現れているなら、これを顕在意識に上げてくることができれば、パターンを手放すかどうかを選ぶこともできます。そのお手伝いは基本的にします。

 

ぱんだ:こう考えみたらどうっていう提案や、セッションの中でワークを提供したら、素直に受け入れる人と、「でも」「だって」とか場合によっては 「やって変わるとわかってたらやります」と言う人もいます。その違いはどこで生まれてくると思いますか。

 

板垣さん:まずはご自身のこと、何が起きているかを知りたい、という意欲を持たれていることがもちろん大切ですよね。信頼関係ができたらその上で、 どうやらこういう状態になってるみたいです、とまずお話はします。 タイミングが良ければ、そこで少しずつ気づきが起きますよね。もし、気づくこと自体がとてもハードルが高くて、頭では理屈がわかっても納得はしたくない、という状態であれば、もちろん感情の問題だと思うんです。

 

インナーチャイルドが「充分に悲しんでいない」ことが大体のブロックになると言われているように、当時感じる余裕がないままに、ごっそり蓋をしてしまった、そんな感情を感じるのは誰だってイヤなものだと思うんです。ただ、それと表裏一体となったポジティブな感情も一緒に閉じ込められてしまっているとしたら、意欲があれば開けてみませんかとお勧めをして、できる限りゆっくり お話しながら解放していってもらいます。
続きはこちらです。

第三部

 

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