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俺は映画監督になる!/横川寛人さん対談

俺は映画監督になる!/横川寛人さん対談

 

映画監督 横川寛人さんとぱんだの対談動画・記事です。

 

記事は三部に分けてお届けします。

対談の内容はこちらです。

 

第一部:俺は映画監督になる! <今ご覧いただいている記事です
第二部:監督7つの誓い 仕事の流儀
第三部:愛ある限り撮りましょう!

『特撮の夜 夢見ろヒーロー』

 

動画はこちらです。

 

 

 

ぱんだ:各界で活躍されているアーティストをお招きしてお話を聞くというアーティスト対談、本日のゲストは映画監督の横川寛人さんです。

『映画監督』は仕事と捉えていいんでしょうか。作品を作るアーティストと いう側面もあると思うんですが、ご自身はどういう形で活動されていますか。

 

横川さん:普段は映像制作会社をやっています。大学在学中に作ったその会社で映像の仕事の依頼を引き受けています。その会社として映画を撮れたら一番いいよねっていうところから始まっています。

今は、平日はその会社で仕事をして、土日で映画を撮るとか、映画館で舞台挨拶をするという形で活動しています。

 

 

 

Dr.サイエンス

 

ぱんだ:まず『Dr.サイエンス』という作品について、2014年の卒業制作で台東区の区長奨励賞を受賞されています。『ザ・軍曹』の登場人物ということでしたが、その登場人物にスポットを当てて、立体と映像を合わせた形で作品化していこうと思ったのはどういう意図がありましたか。

 

横川さん:美大の彫刻科にいて卒業制作も立体物を提出するんですが、教授が横川はずっと映像をやってるんだから映像を絡めた作品にするべきだと言ってくださいました。お言葉に甘えて、彫刻科にいながら自主制作で撮っていた映画にスポットを当てて、映像のワンシーンを使いながら、その登場人物の立体物を作ろうというのがキッカケです。

 

ぱんだ:わたしも子どもの頃、怪獣の特撮やウルトラマンが好きで、広告の裏に怪獣の一日とか描いたり、妄想を膨らませていました。Dr.サイエンスについて横川さんが語っているものを読んだ時に、すごく惹かれるものがありました。
『ザ・軍曹』もご自身が撮影されたものですが、在学中に撮影されたものですか。

 

横川さん:大学に入ってから、第二次世界大戦の、小野田さんのような日本兵にスポットを当てて作った作品です。ただ、コメディタッチなものが好きなので、Dr.サイエンスがタイムトラベルをして、いろんな時代の人に会っていくお話にして、その第一弾が『ザ・軍曹』です。

第二弾でヤマトタケルに会ったり、第三弾で侍に会ったり、そういうことを文化祭で上映していました。大学の4年間に撮っていたその短編のDr.サイエンスシリーズをまとめて、さらに個々の登場人物を立体物にして、映像と掛け合わせて作品にしていきました。

 

時間

 

 

ぱんだ:ご自身も作品紹介で、Dr.サイエンスはタイムマシンを使って都合の良いように操作していくけれど、自分自身も操作されてしまったって表現されてました。Dr.サイエンスのどこに惹かれたんでしょうか。

 

横川さん:3本の個々の作品は繋がっていませんが、3本ともに登場するのがDr.サイエンスというキャラクターです。最終的にはヤマトタケルや侍や日本兵を集めて、アベンジャーズみたいにオールスターを作って強大な敵に立ち向かう、そんな映画ができればいいなと思っていました。

それを撮ったんですけど、アベンジャーズみたいには撮れませんでした。それで映画ではなく立体で表現できたらなと思い、最終的には卒業制作でキャラクターが集まった作品になったということです。特にDr.サイエンスに思い入れがあったというよりも、3作品を繋げるキーパーソンといった存在で、テーマにしました。

 

ぱんだ:お話聞けてよかったです。わたしは密かにドクターサイエンスのファンになりましたから。

 

 

初めての映画撮影

 

ぱんだ:初めて映画を撮影されたのはいつ頃ですか。

 

横川さん自主制作で撮ったのが、高校1年です。それ以前からゴジラやスターウォーズなどが大好きでしたが、マイケルジャクソンにハマって、ミュージックビデオが本当にかっこよくて凄いと思いました。大好きな映像のコンテンツのジャンルがSFで止まっていましたがそれで広がりました。 スリラーのパロディを撮ったのが一番最初です。コスチュームやセットやロ ケーションとか全く拘らないで、高校の近くの川で制服で、ただセリフは同じっていうのを撮りました。

 

ぱんだ:高1でそれを撮ろうと思って撮る行動力が凄いです。

 

横川さん:友だちと二人で撮って僕が編集しました。皆に観てもう為で も自分の為でもなく、やはりマイケルファンだったその友だちに楽しんでもらいたくて作りました。それがきっかけです。

 

映画

 

ぱんだ:撮影するにあたって、踊りもちゃんと練習して挑まれたんですか。

 

横川さん:誰かに見せようっていう作品じゃないので、記憶の中で覚えてる限りでした。歌も音は外れてるし裏声で、本当に見せられない作品なんですが、今でも高1から毎年ずっと 16、7年撮っていて、アーカイブは揃ってます。

 

ぱんだ:一度拝見したいものです。高校在学中に何本撮影されたんでしょうか。

 

横川さん:マイケルジャクソンのパロディの『ビート・イット』だったり『ビリー・ジーン』や『ウィ・アー・ザ・ワールド』はひと通り撮って、高校1年でふわっと終わりました。3年の時にその映像を観た後輩たちが興奮して、映画を本格的に撮りましょうって言ってきたんです。それで猿の惑星のパロディを撮ったら、あるディ レクターが喜んでくれてテレビで流されました。それから3浪する間に『燃えろドラゴン』『ターミネーター』『プレデタ ー』とか、自分が小中高と好きだった映画のパロディを兎に角撮っていきま した。

 

ぱんだ:撮るきっかけはやっぱり相手を楽しませたいとか、自分が好きなものをパロディにするとか、そいうことですか。

 

横川さん:そうです。『猿の惑星』は作ろうと言ったその子が喜んでくれればそれでいいっていう感じです。その子も出演しました。

 

ぱんだ:その子が喜んでくれれば、それ以外伝わらなくてもいい?

 

横川さん:それで満足です。

 

 

ぱんだ:ゴージャスですよね。その頃の心に残っているエピソードなどあればお聞かせください。

 

横川さん:芸術高校の彫刻科にいました。彫刻はデザインや油絵、日本画と比べると人気がなくて3、4人しかいないのに、スペースが必要なので凄く広いアトリエを設けてるんです。学校は女子が多いんですが彫刻はほぼ男子で、そこで好き放題やってました。なぜか大画面のテレビが付いてて、マイケルジャクソンかける、スターウォーズずっと流す、最終的にはコーヒーメーカー置いてゲーム置いてフィギュアも置いてました。今はそんなこと許されないと思うんですけれど、今と繋がるようなことをしてました。それが一番の思い出です。

 

ぱんだ:パラダイスですね。そういう環境であったからこそ、自分の内側に あるものも含めて外に出していくことがし易かったかもしれないですね。

 

横川さん:そうですね。

 

 

俺は映画監督になる!

 

ぱんだ:たくさん自主制作をされてきましたが、映画監督になるとご自分の中で決められたのはいつ頃ですか。

 

横川さん:彫刻を勉強するのが夢だったので、映像制作はあくまでも趣味で職業にするつもりは全くありませんでした。映像クリエイターと言うのも変だと思っていて、映像制作会社をしている人っていうつもりでした。

近年クラウドファンディングで映画を撮って、劇場公開した最初の舞台挨拶で登壇した時に「映画監督の」って言われたり、皆んなに監督って呼ばれた時に、自分は映画監督なんだ、そう名乗っていいんだって気づきました。今もちょっと恥ずかしいんですけど。そこでようやくです。

 

ぱんだ:明確に映画監督になると思っていたのではなく、活動していく中で、映画監督なんだという気づきがあったんですね。「映画監督」が、こちらも言いやすいし分かりやすいですよね。慣れていってくださいね。

特撮自体は子どもの時から好きだったんですか。

 

恐竜

 

横川さん:記憶の一番最初が、3歳くらいの幼稚園の時に映画館で観た『ゴジラVSモスラ』のワンシーンです。そのくらい怪獣映画、特撮映画に心を持っていかれました。未だに母に「帰ってからの寛人は凄かった。ゴジラのここがスゴかった、怪獣同士の戦いのこのシーンがスゴかったってとにかく熱弁していた」と言われるので、そうとう衝撃だったんでしょうね。

 

ぱんだ:よほど印象深く大きな体験だったんでね。ヤクザ映画を観て出てくると男の人は肩を揺すって歩くっていうけど…

 

横川さん:もう怪獣になってましたね。

 

ぱんだ:わたしも幼稚園の時、園の隅っこで友達と怪獣ごっこを2時間くらいやってて、先生達が探し回ったことがあります。怪獣やヒーローになるのは、没入すると時間を忘れるくらい楽しいですよね。その映画の大きな影響で、ずっと特撮好きは変わらずあったんですね。

 

 

続きはこちらです
第二部:監督7つの誓い 仕事の流儀

 

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