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俺は映画監督になる!『特撮の夜 夢見ろヒーロー』対談 第二部

俺は映画監督になる!『特撮の夜 夢見ろヒーロー』対談 第二部

 

映画監督 横川寛人さんとぱんだの対談動画・記事です。

(*2021年8月の対談です)

 

記事は三部に分けてお届けします。

こちらは第二部です。

 

第一部:俺は映画監督になる!
第二部:監督7つの誓い 仕事の流儀
第三部:愛ある限り撮りましょう!

 

 

 

彫刻科を選んだのはなぜ?

 

ぱんだ:大学でも彫刻科を選んだのは、高校でも彫刻を学んだからその流れでですか。

 

横川さん:高校1年の時から東京芸大の彫刻科を志望していました。

 

ぱんだ:そこから決めてたんですね。彫刻って石を彫るとか木を彫るのが彫刻と思ってたんですけど、いろんな素材を使うんですね。それを知っててやりたいものがあったんですか。

 

横川さん:これは彫刻家を志してる人には失礼な言い方かもしれませんが、志望大学に入ることが夢でした。とにかく入るんだ!っていうことしか頭にはなかったです。その為には何をするかということだけでした。

 

ぱんだ:Dr.サイエンスの立体と映像を合わせていく形を作ったのは、オリジナリティを感じて?

 

横川さん:入学した時に20人いるんですけど、皆、自分より凄いなって圧倒されたんですよ。ここで自分は目立つしかないと思った時に、あえて立体は作らずに趣味で撮っていた映像をうまいこと使って表現するのが一番じゃないかと考えました。

 

大学1年の時から、彫刻科にいながら映像やってますって教授たちにもアピールしたのがきっかけです。その流れで『Dr.サイエンス』も卒業制作まで。圧倒されたから映像やるしかないと思い、彫刻として映像表現しようと思いました。

 

ぱんだ:きっかけがそうだったとしても、自分を生かせる場をちゃんと見つけてやっていけるのがとても素晴らしいところだと思います。自分を生かすとか生かし切ることは頭の中にちゃんとあって、そっちを選んだんでしょう か。

 

横川さん:高校の時からですが、自分はどう見られているかがすごい気になっていました。「横川寛人ってこういう人」というのを、第三者に一発で伝わり易い人になろうとした毎日でした。相手に気を遣うとかではなく、自分がどう見られ易いか、パッケージ化を常に意識していました。

 

 

 

ぱんだ:自分がどう見られるかというのは、自分をどう表現するといい印象を与えられるかということでもあると思います。自分をマネジメントしたりプ ロデュースする感覚が発達してる方は、日本人には少ないと思います。幼い時からそうなのか、高校や大学に入って自分と競い合うような才能と出会うようになって自分を立てていくとか自分のキャラを明確にしようと思ったのか、どうなんでしょうか。

 

横川さん:小学校の時はいじめや差別のある環境にはいなくて、幸せな小学校生活でした。色んな子がいたとは思うんですが皆と仲良くしてて、そういう子たちを繋げているつもりでいました。その頃はとにかくいい空間を作ろうと思っていたのが記憶にあります。クラスのパッケージ化ですね。

 

ぱんだ:パッケージ化はキーワードですね。それは人と人を繋ぐのもだけど、空間プロデュースする感覚が入っているように思いますが、ご自分ではそれを感じていたんでしょうか。

 

横川さん:その時には全然感じていませんでした。劇場デビューの『大仏廻国』を大学や高校やはたまた中学の友だちに手伝ってもらって、それぞれ関係のなかった人たちが自分の周りに一堂に集まった時に、面白いなと思ったんですね。

 

自分がいたから巡り合ってる人たちが一緒に話しをしてる空間を見た時に、小学校の時を思い出しました。その時に、自分は小学校の頃からそういうことをやるのが好きだったし、自然にそうなっちゃってたんだなって気付きました。

 

ぱんだ:そこが強みとして出てるのかもしれないですね。なかなかやろうとしてできることではないので。

 

映画フィルム

 

 

監督7つの誓い 仕事の流儀

 

ぱんだ:仕事として映像をつくる時の流儀やこだわりがあればお聞かせいただ けますか。

 

横川さん:先にお話したように、高校の時に仲間に喜んでもらいたいが為に映像を作っていました。大学に入っても高校の友だちと撮っていたので、引き続き高校の友だちに向けて撮っていたんですね。大学卒業くらいの時にその友だちとけんかをして離れたけれど映像を作り続けようとした時に、何が楽しくて映像撮ってるんだろうって思っちゃったんですね。その時に初めて誰かに向けて作らなきゃいけないことになり、クラ ウドファンディングで支援してくれる人たちに向けて映画を撮ってみようかって思いました。常にだれかの為に映像を作る、映画を作るっていうのが、僕の誓いっていうかコンセプトです。

 

ぱんだ:誰かのための誰かが、ひとりであっても複数であっても変わることがない。喜んでくれる人たちがいて喜んでる姿を見ると、自分のなかで満たされるものや、やった!という感覚があるんでしょうか。

 

横川さん:明確なものはまだないです。クラウドファンディングで支援してくれるひとたちの為だけではないです。

『大仏廻国』は1934年の映画で、戦前にこういう特撮映画がありました。戦災で消滅し、その映画監督も不遇の時代を過ごしたために、世間に評価されないまま今に至っています。でも実は、後に『ゴジラ』を作り上げるきっかけになった人でもあり、今ある日本映画やSF映画の礎となったこの方の為に、映画を撮らなきゃいけない、知ってもらわなきゃいけないというのがコ ンセプトです。

 

次の『ネズラ1964』を撮ったのも、『大群獣ネズラ』が没になるという挫折があったからです。代わりに作られたのが『ガメラ』です。だからネズラは実は重要で、作ったという実績やその人たちの努力は知ってもらわなきゃいけないと思いました。

 

それぞれの特技監督にスポットを当てたりして、ある意味その人たちのために撮りました。

 

今撮っている化け猫映画も、作曲家の渡辺宙明先生のために撮っています。 自分はこういう性格だから、こういうのが好きだから映画にしますっていうのとはちょっとずれている。自分自身が、自分が考えてることには全然興味ないなって思ってます。

 

大仏廻国,横川寛人さん

 

ぱんだ:わたしは、人を大事にしたりそのひとの為にというのは自分の思いであり自分の考えだから、そこも大事にされてるなと思って聞いてました。それが映画を作りあげていく時の原動力でもあるし、それがあるからそこに集中できるということですね。

 

(*2021年8月の対談です)

 

続きはこちらです
第三部:愛ある限り撮りましょう!

 

 

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