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【生きる】4、幸せの広げ方

【生きる】4、幸せの広げ方

生きる

1:法律、ルールの中で生きている

2:生きると幸せ

3:幸せを感じられないとき

4:幸せの広げ方

の4つの記事でお届けします。

 

 

どんな時でも人は幸せになろうとする

 

お金はある日、急に社会の状態とか世界中の状況が変わって

しまったら、お金の意味がなくなるかもしれません。

 

どんな時でも人は幸せになろうとします。

 

幸せになるために人のものを奪ったりも出来てしまうし、

自分が幸せであれば、他の人が幸せになるために

自分のものを与えるということもできてしまう訳です。

 

ただ、この与えていく側の人というのが

割と少ないかなと思います。

 

幸せになろうとするというのは、生きていると必ず働くもの

ではあるんだけどさきほどの自分を幸せにしてくれない人と

付き合ってしまう人のパターンと、同じように

幸せになろうとする力の向いている方向性と、自分の

あぁなりたい。こうなりたい。こういう風に言われたい。

という方向性が合っていないと、幸せになろうとはしてる

つもりなんだけれども、どっちかというと、例えば

名声であったり、何か人にすごいと言われたいというので、

満たされる側を向いていくことになります。

 

これは一見すると、お金もあって幸せになるけれども実際に

心の状態は貧しくなっていくという状態ではあります。

 

生きる上で、お金と幸せというのが現状、密接につながって

いて、お金と幸せが揃っている方が、人は生きていて

豊かさを感じやすい。

 

これはお金がたくさんあるから、幸せの度合いが高いから、

その人が豊かかというと、そうではなくて、 私の考え方では

幸せというものとお金含むその成果というものですよね。

 

成果と幸せと二つの車輪があって、自分という軸が

その両輪をつないで、回って進んでいくという風に

考えているから、軸である自分が貧しかったり、軸としての

自分の心のあり方や人としての在り方が未熟だと、

どこまで行っても、お金がどんどん増えていったとしても、

周りに人が集まって来たとしても、その人は豊かさから

離れています。

 

本当の豊かさというのは、その成果と幸せが

その人にとって、今必要なバランスで整っている状態。

 

これが一定期間が続くと、人は豊かさを感じやすくなったり

心が豊かな状態に変わって行きやすい。その豊かさの先に、

その人の健やかさがあるというふうに私は考えています。

 

 

何にも影響を受けないとか、何が起こっても動じなかったり

何が起こっても自分の知っている範疇で物事を測ることを

やって、その知っている範疇で手に負えないものは、誰に

助けを出せばというのが分かっている状態でもあります。

健やかであるというのは、これは心身が健やかな状態です。

 

心身が健やかな状態であるほうが、心のあり方や、

人としてのあり方というのも整っていきやすくなります。

 

その人なりの美学というのか、その人の中で調和が

取れていてその人の中で善悪なく心ひかれるものであったり

大切なものが集まってできてくるのが、その人の美学と

いうふうに考えているんだけど。

 

そういったものは、心のあり方、人としてのあり方で、

心身の健やかさというのと共にあると思います。

 

 幸せの広げ方

 

構造やシステムとして見ていくと、人は喜怒哀楽があったり

誰かと何かを比べたり。自分のルールや、国、地域、家の

決めたルールや法律の中で、自分を機能させていくことに

なるから、当然そのバグや不都合が起こってきますよね。

 

あとは家庭環境や夫婦間の関係性、家族との関係性で、

やりたいことをやれなかったりということが出てきたり。

やりたいことをやるために条件が付けられてしまうとか。

 

そういうことをしながら人というのは、生きて行く上で

必要なお金を何がしかの形で得て、日々食べて快適性を

満たしてとかっていうことになるわけです。

 

この幸せを感じにくくさせるものの一つは、生活が忙しすぎるとか、子供が複数人にいてて、家事育児を自分1人でやらなきゃいけない。パートナーが助けてくれない時というのは、どうしても家事育児は途切れ目がないものだから不公平感があったり、しんどさを感じやすくなりますよね。

 

パートナーが手伝ってくれない時というのは、相手が自分を

理解しない、状況を理解しない、そういうところも目に付く

から、それも不満になっているわけです。

 

環境や関係性、そこに自分の思いがどれだけ反映されて

いるか、どれだけ満たされているか。仕事と休憩と楽しみの

バランスがどれだけとれているかというのが、生きていく

上での幸せとか、豊かさのバロメーターのようになって

しまっているところがあります。

 

 

今の時代生きてるだけでも私はえらいと思うんですけど。

 

なんでこんなに面倒というか

複雑にしてしまったんでしょうね。

元々は、シンプルだったはずなんだけど、

なんかややこしくなっていった気がしますよね。

 

100%幸せでそれで満たされているというのはそれで

OKなのだけど、そうしたら自分と相手の可能性について

触れているかどうかという視点で見たら、

それは触れてはいないんですね。

 

すっごい幸せを感じて、感謝もすごく自然に

湧いてくる人達と話したことがあるんです。

そういった人達5〜6人と私で、グループで話をした時に

共通していて驚いたことがあって。

 

「幸せやから今以上を求めたら、幸せじゃなくなる」

というのを全員言ったんです。

 

それに対して私が「え!でもうどんが美味しいお店で

きつねうどんを食べて、ここのきつねうどんが美味しいと

思って、他所で美味しいきつねうどんに出合ったら、

おいしいって言ったらダメなんですか?」みたいな。

ちなみに私うどん嫌いだから食べられないんですけど(笑)。

その時そういう例えが出てしまったんですね。

 

でも聞いた瞬間、みんな愕然として。

 

「うどんじゃないけどカレーが好きだからおいしいカレーを

食べて、あそこもここもおいしいと思います。」

「ですよね。今幸せで、こっちにもこっちにもあっちにも

幸せがあったらいいと思いませんか?」

 

幸せな人達の共通点は、そういうのがあったんだと

思いました。 でもきつねうどんがみんなの幸せを広げた

みたいな。 食べないけれども(笑)

 

シュークリームとコーヒー

 

だからその幸せが、ある意味漠然としすぎていて、

体感的に感じたり、心がそういう風に満たされて

感じるものであったり家族の中で感じるとか、

旦那さんとか奥様からそれを感じるとかっていうところで、

完結していることも多いのかな?と思います。

 

今が満たされて充分幸せな人は、その先の可能性、

個々の可能性、互いの可能性と、二人で作って行く可能性に

触れていくと、幸せが広がっていくかなと思います。

 

生きる第一部は、この辺で(笑)